「現代の反グレは少なくとも4つのカテゴリーに分けられるんです」

 そう語るのは、半グレの実態などを研究している龍谷大学犯罪学研究センター嘱託研究員の廣末登氏だ。

 2011年、全国的に暴力団排除条例(以下、暴排条例)が施行されて以来、暴力団は衰退の一途を辿っている。その一方で活発になっているのが、準暴力団(当局が準暴力団と位置付けているグループ)や半グレによる犯罪だ。身動きが取れなくなった暴力団に代わり、半グレの活動領域が急速に拡がっているのだ。

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 しかし現時点では半グレの定義はいまだ存在せず、その実態は不透明だ。エンタメ作品などでは暴力団と半グレが対抗しているような様子が描かれることもあるが、実際にはその力関係にも大きな誤解があるのだという――。

 そこで、更生保護就労支援事業所長在任中の支援対象者や、取材の対象者等から得たデータに基づき、廣末氏に「令和の半グレの実態」を解説してもらった。

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「実は、『半グレ』は、平成の日本社会に忽然と現れたものではないんです」 

 廣末氏はそう解説する。そもそもこの「半グレ」という呼称は、ノンフィクション作家の溝口敦氏が『ヤクザ崩壊――侵食される六代目山口組』(講談社・2011年)で活字化し、広く用いられるようになった用語だという。

※写真はイメージです ©iStock.com

元々は“暴走族上がり”が多かった半グレ

「溝口氏のいう草創期の半グレで、怒羅権の元メンバーであった汪楠氏によると、怒羅権はもともと暴走族でした。しかし日本の暴走族におけるルールに則り『18歳で卒業した』と。それが1990年頃でした。しかし、そこで足を洗うわけではなく、怒羅権としての活動を続け、マフィア化していったようです(『怒羅権と私』彩図社・2021年)。

 草創期の半グレのメンバーは、怒羅権のように1980年代に活動した暴走族上がりが多いんです。当時、いまでいう半グレは『暴走族の元メンバーやその知人らが離合集散しながら緩やかなネットワークで行動を共にするグループ』(朝日新聞 2013年3月20日)であると言われていました。

「初代怒羅権 ヤクザが恐れる最凶マフィアをつくった男」(宝島社)

 このマフィア化した暴走族OBが、2010年頃から半グレと呼ばれるようになった。その活動は、1990年代から2000年代初頭を通じて行われているから、半グレという呼称が生まれる以前から、現在の半グレ同様の活動をしていたことになります」

 そして、半グレという言葉が一般化する2010年頃、怒羅権のようなマフィア化した暴走族OBにとっての“追い風”が吹く。2010~11年にかけて、各自治体において制定された暴排条例が、斜陽の暴力団の活動を制約したのだ。

「暴力団の活動が鈍るにつれ、半グレの活動は活性化していきました。脅威が増していった2013年、警察は半グレが集団で常習的に暴力的不法行為に関与しているとして、怒羅権や関東連合などのグループを準暴力団と位置づけ、実態解明に乗り出しました。

 以降、半グレの裾野は広がり、暴走族OBによるグループだけではなく、様々な背景の人たちを吸収していきました」

 そしてここから“令和の半グレ”に繋がっていく。