大災害による犠牲者は、直接的な被害に遭った人だけではない。例えば、避難生活の影響で持病が悪化して亡くなった人や、大切な人を亡くした喪失感から心身に不調をきたして命を絶った人の死は「災害関連死」に位置づけられる。

 ここでは、災害関連死に焦点を当てて災害支援の道を探るノンフィクション『最期の声』より一部を抜粋。2016年4月、闘病中に熊本地震に遭った4歳の少女の身に起きた悲劇を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む

©iStock.com

◆◆◆

ADVERTISEMENT

 北海道千歳市生まれで熊本市育ちの貴士と、熊本市出身のさくらは、同じ1979年生まれ。専門学校卒業後に就職したデザイン関連会社で出会って、結婚した。2009年に長女の柑奈が生まれ、2年後に次女、花梨が誕生した。

 小柄だった柑奈に比べ、花梨は見るからに健康そうな赤ん坊だった。しかし、生後すぐの検査で、心臓の雑音が確認される。詳しく調べて、完全型房室中隔欠損症だと診断された。心臓に小さな穴が開いているという。

 とはいえ、生まれたとき100人にひとりは心臓に異常があると言われる。珍しい疾患ではない。自然治癒する場合もあれば、手術で根治するケースもある。運動を制限して服薬を続けたり、ペースメーカーを装着したりしながら日常生活を送る人は少なくない。

 医師は、手術して心臓の穴さえ塞げば、根治し、幼稚園にも学校にもふつうに通えると話した。花梨が最初の手術を受けたのは、生後2カ月のことだ。

 鼻に装着し、酸素を供給するチューブを手放せない花梨だったが、疾患を抱えているとは思えないほど、元気に育った。家では、歌って踊り、姉の柑奈が公園に行く、と家を飛び出せば、三輪車であとを追った。近所の子どもたちと同じように一緒に走り回り、滑り台を滑り、ときには山登りもした。

『アナと雪の女王』が大好きな明るく、屈託のない女の子だった。

 2015年10月、4歳になった花梨にはひとつの目標ができた。翌年の4月から、姉の柑奈と同じ幼稚園に通うこと。そのためには、1月末に手術を受けて、入院しなければならない。過去二度の手術を経験した花梨にとっては、最後の手術になる予定だった。

 花梨は、幼稚園という新たな世界に、胸を高鳴らせて、楽しみにしていたに違いない。