健康な子どもと同じ生活ができる、はずだった
術後も経過観察で酸素供給が必要だが、夏になれば、チューブを外し、健康な子どもたちとまったく同じ生活ができる、はずだった。花梨だけではなく、貴士とさくらもそう信じて疑いもしていなかった。
2016年1月27日、小児心臓外科がある熊本市民病院で行われた手術は成功したが、予後が思わしくない。ICUには家族は入れない。4歳の子どもにとっても、看病する家族にとっても、不安を抱えた闘病生活が続いた。
1週間ほどICUで過ごした花梨は、家族と時間を過ごすために一般病棟に移るが、合併症を発症する。小児の症例が珍しい間質性肺炎だった。大人への治療を参考にし、人工呼吸器を装着し、睡眠剤で眠らせながら投薬などを行った。しばらくすると薬の副作用で腎臓に負担がかかり、人工透析を余儀なくされる。
当初、血液透析という方法だった。病状は快方に向かうが、身体への負担が大きすぎた。そこで4月13日、負担が少ない腹膜透析に切り替えた。特殊なフィルターを搭載した機械で、血液中の老廃物や不要な水分を取り除く血液透析に対し、腹膜透析は患者自身の腹膜を透析膜として利用する手法である。
その選択が、夫婦に希望をもたらした。症状に明らかな改善が見られたのである。
けれども、その翌日の午後9時26分、震度7の揺れが熊本市をおそう。
さくらは合志市の自宅で被災する。仕事で外出中だった貴士が熊本市民病院に急いで向かった。夜間であり、娘には会えなかったが、症状に異常はなかった。まだ予断を許さない状況ではあるものの、貴士とさくらはひとまず胸をなで下ろした。熊本が二度も震度7の激震におそわれるとは想像すらしていなかったのである。
震度7から28時間が過ぎた4月16日午前1時25分。不測の事態に備え、病院から近い熊本市内の生家に宿泊したさくらは、突き上げるような振動で目を覚ます。揺れが激しすぎ、動けない。停電で町から一切の明かりが消えた。おさまったかと思った瞬間、すぐに余震に見舞われる。入院中の娘を思うが駆け付けられる状況ではなかった。