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延々続けられる「誰でも捕れる」ノック

 そしてノックを始める前に、ひとつだけルールを告げた。

「もう限界だと思ったらグラブを外せ。外せば俺はそれ以上打たない。それが終わりの合図だ」

 時間も球数も決めずにノックは始まった。日本刀のように細身でスラリと長い、自分専用のバットを手にした落合は、それをまるで体の一部のように操って白球を転がした。

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 落合が放ったのは、表現するならば「誰でも捕れる打球」だった。遅れることなく足を運べば必ず追いつくことができて、バウンドも狂うことなくグラブに収まる。計算された打球だった。それは逆に言えば、少しでも動きが遅れれば、ひと目でわかってしまうということだった。一球一球への誠実さを試されているようだった。

 30分が過ぎた。まもなく11月を迎えるというのに沖縄の気温は25度を超えていた。流れる汗がユニホームをずっしりと重くしていく。

 森野は一見すると何の変哲もない打球に、追いつめられていった。

 追いつけない球を打ってくれ……。

 森野は願った。そうすれば、その場に倒れ込んで束の間でも休むことができる。だが、落合は捕れない範囲には決して打たなかった。誤魔化しや諦めを許さない、そういうノックだった。朦朧とするなかで、それでもグラブだけは外すまいと森野は考えていた。

 1時間が過ぎ、1時間半を超えた。森野は何度か意識が飛んでしまいそうになったが、その度に生ぬるくなったバケツの水をかぶって正気を保った。ノックは2時間を超えて、最後は日没で終わった。なんとか、グラブだけは外さなかった。

 それから森野は病院に行き、点滴を受けた。脱水症状を起こしていた。腕に管をつないだままベッドに横たわっていた。病室の白い天井を眺めながら、ふと気づいた。

 俺をずっと走らせていたのは、このためだったのか……?

ナゴヤドーム ©文藝春秋

 これまで経験したことのない落合のノックにどうにか耐えられたのは、シーズン中に課せられていたアメリカンノックのおかげではないか……、そんな気がしたのだ。

立浪に叩きつけた挑戦状

 そして、あらためて身震いした。

 ここからは、もう引き返せない……。

 自分はチームの顔である立浪に挑戦状を叩きつけたのだ。落合には、そこにしかお前の居場所はないと告げられた。奪うか、跳ね返されて便利屋のまま終わるか。先にはその二つしかないのだ。

 落合の目を見ればわかる。これはラストチャンスだ。覚悟を決めるしかない。

 森野はプロとして初めて、本当の危機感を抱いていた。

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