若い頃はシンナー、恐喝、ヤクザとの付き合いも…
稲葉氏は1953年、北海道門別町(現日高町)で生まれた。体力に恵まれ、父の影響から中学2年生で本格的に始めた柔道で頭角を現し、東洋大学に進学。個人で全国3位になった経験を持つ。
「若いころはかなりヤンチャで悪いことはだいたいなんでもやったよ。喧嘩もやったし、タバコも吸った。ヤクザとの付き合いもあったし、シンナーも吸って、恐喝も……。逮捕こそされなかったけど、いろいろやっていましたね」
大学の顧問に目をかけられ、稲葉氏は柔道部主将も務めた。高校卒業の折、そんな恩師に「(就職は)北海道警に決まっている」と言われ、その指示に従った。
道警の採用試験を突破して警察学校を出ると、道内随一の繁華街にある薄野交番で半年間、勤務した。その後は道警代表として全国の警察本部との柔道大会で活躍すべく、稽古に励む日々が続いたという。
ノルマのために警察仲間と手柄の取り合い
「せっかく警察官になったのに、柔道枠で入った自分は学生時代とやっていることが変わらなかった。朝に署へ行って、柔道の練習して、昼めし食って、昼寝して、稽古して、5時に帰ることのくりかえし。『これではまともな社会人とはいえない』と柔道が嫌になってきたんですよ。
それに、交番時代に経験した警察仕事が楽しかった。俺も本来の警察の仕事がしたくなったんですよね。それでやるなら刑事で、ヤクザ相手に仕事をしたかった。学生時代からヤクザとの付き合いはあったし、興味があってね。『こういう人たちを捕まえたら楽しいだろうな』ってワクワクしたんです」
願いは叶い、まずは機動捜査隊に配属された。刑事部内の一部署である通称・機捜(キソウ)は、凶悪事件の初期捜査を担う。日頃、覆面パトカーで巡回し、事件が発生すると真っ先に駆けつける部署だ。
「警察の仲間って言っても、ノルマがあるから手柄の取り合いなんですよ。映画にもあったけど、キソウは特に手柄の取り合いが激しくて、車を飛ばして現場に駆けつけて、犯人の足を引っ張って『これはオレのだ』なんてやる光景が本当にあった。でも、それが楽しかった」