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「ヤクザとは殴り合って、ポン中とはゲーセンで仲良くなった」元刑事の人生を狂わせた過剰な“エス作り”の実態《「日本で一番悪い奴」にインタビュー》

「ヤクザとは殴り合って、ポン中とはゲーセンで仲良くなった」元刑事の人生を狂わせた過剰な“エス作り”の実態《「日本で一番悪い奴」にインタビュー》

映画になった稲葉圭昭氏インタビュー#1

note

 警察での仕事は事件発生後に現場に駆け付けることだけではなかった。

道内随一の繁華街すすきので“エス作り”

「上司から『キソウは110番だけでは飯を食っていけない。協力者(スパイの頭文字をとりエスと呼ばれる)を作ってそこから情報を取れ』と言われ、エスづくりに奔走しました。当時エスって言葉はなくて、協力者という呼び方でしたけどね。

 その隊長が先進的で、キソウのマッチや『道警機動捜査隊』と書かれた手ぬぐいを作ってすすきのの店に配ってヤクザが来ないようにしたり、弁護士バッジのようなキソウバッチを作ったり。その後の異動先の中央署時代には、俺個人の名刺をすすきのの飲食店などに配りました。何かあったら俺に連絡をってね」

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薄野交番時代に北海道新聞の取材を受けた際の1枚。真ん中の警察官が稲葉氏

 稲葉氏の“人脈作り”は繁華街の飲食店に留まらなかった。すすきのではヤクザと衝突することも多く、殴り合った後に仲良くなるなどして捜査で必要な人脈を築いていった。

「ヤクザからは『キソウは令状なしで入って来る』と怖がられていましたね。あの頃は本当に楽しかった。ペアで動いていた相棒と一緒にヤクザの事務所を回ったり、当時あったゲーム屋に出入りしていました。ゲーム屋にはポン中(※覚醒剤依存者)がよく集まっていたからね。

大スキャンダルに発展した裏金問題

 そんなことをやってエス作りに腐心していたんだけど、隊長が変わって状況も変わった。『本来のキソウに戻れ』と号令がかかって、発生に駆け付ける仕事がメインになって行ったんですよ。一課とかには『現場を荒らす』と嫌われていたけど、それまでのキソウは花形だったな」

インタビューを受ける稲葉氏

 目を細め、半世紀前を振り返る稲葉氏。現在では到底実施できないような、令状のない強引な捜査は日常茶飯事だったようだ。映画『日本で一番悪い奴ら』でも、対象者の不在時に勝手に家に乗り込み、薬物などを探す様子が描かれている。稲葉氏の柔道で培った体力や負けん気の強さは、一昔前の警察ではひときわ評価されたのだろう。

 しかし、こうした体質を「古き良き時代」と括るわけにはいかないだろう。違法な捜査や、暴力団員を含むエスとの濃厚すぎる付き合いは、稲葉氏の倫理観は徐々に歪めていった。そして後に大スキャンダルに発展した道警内で密かに計上されていた裏金問題が、稲葉氏の“刑事としての倫理”を崩壊させるトリガーになったのだ――。

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