昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「『違法捜査はよくてなんでシャブはダメなんだ』って本気で思ってた」覚醒剤密売の“シノギ”で1億円以上の利益を上げた《極悪刑事の素顔》とは

映画になった稲葉圭昭氏インタビュー#3

 社会平和を守るべき警察と、犯罪行為で治安を乱す暴力団員。相容れないように思える二者だが、“癒着”は枚挙にいとまがない。

 2018年、留置場で知り合った暴力団員と交際していた警視庁の20代の女性警察官による捜査情報漏洩が発覚。

 2021年、40代の神奈川県警警部補は捜査情報を漏らした上で、クラブでの高額接待を受け「暴力団関係者を協力者(エス)にしたかった」と弁解した。

 2022年に入っても、愛媛県警の50代の組織犯罪捜査室長が元暴力団員に情報漏洩するなど不適切な交際があったとして書類送検されている。

キツいノルマで崩壊した警察の矜持と倫理観

 しかし、“日本で一番悪い奴”である稲葉圭昭(68)が暴力団と癒着して起こした事件の被害規模は、比べようもない程甚大だ。

 1993年、稲葉氏は道警初の拳銃摘発の専門部署となる銃器対策室の初期メンバーに抜擢された。当時、拳銃摘発は警察の最重要課題であり、それは「なんとしてでも成果をあげなければいけない」ものだった。

覆面パトカーの乗り込む稲葉氏

 そうしたプレッシャーから、稲葉氏を含め刑事たちは“ヤラセ捜査”に手を染めていた。暴力団員などの協力者から拳銃をもらったり買ったりして、摘発の数を増やしたのだ。

「俺は逮捕されるまでに100丁以上の拳銃を押収した。俺を超える数を摘発した人はいないだろうね。でもね、令状取ったり職質かけたりして正規の手続きで押収したのなんて6丁か7丁程度。周りもやってましたよ」

 ヤラセ捜査を重ねるたびに、稲葉氏の倫理観は崩壊していった。2000年には道警が稲葉氏のエスからもたらされた話に乗り、拳銃200丁の押収と引き換えに覚醒剤130キロの密輸を見過ごす“見逃し捜査”をしたこともあった。しかし取引はエスの嘘。拳銃の摘発は叶わずにただ大量の覚醒剤を国内に流通させてしまう大失態を犯すことになった。

 道警内でもひときわ多くのエスを抱えていた稲葉氏は、多額の交際費がかかっていたという。