昨年11月、99年の人生を全うされた作家の瀬戸内寂聴さん。会う人会う人から「どうしてそんなにお元気なのでしょう」と聞かれた寂聴さんにも、ある日「鬱」の気配が迫ってきました。
それに気づいた寂聴さんはどうやって逃れたのか? 寂聴さんが編集長を務めた「寂庵だより」の随想をまとめた『遺す言葉 「寂庵だより」2017‐2008年より』(「鬱から逃れる方法」)から一部を抜粋。鬱を吹き飛ばす秘訣がわかります。(全3回の1回目/#2、#3を読む)
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生れつき、私は顔がまるく平べったく、お多福顔なので、いつでも暢気そうで、笑顔が多い。声も大きいし、笑い声も高いので、誰でも私のことを元気で朗らかな人間だと思っている。小さい時から偏食で栄養失調だったので、病気がちで、体は丈夫とは言えなかった。それでも入院するような大病は、18歳で女学校を卒業するまでしたことがなかった。
ペン一本に頼って生活するようになって以来、ベストセラーも出したことなく、お金が余ったことなどなかったが、ひとり暮しなので、それなりのぜいたくはできていた。70歳から始めた『源氏物語』(講談社)の現代語訳が、思いの外に当って、これは大のつくベストセラーになった。95歳の現在まで晩年は経済的に苦労知らずに暮せているのは、すべて源氏訳の収入のおかげである。
源氏以外の自分の創作で、流行作家と呼ばれた時もあったが、どの作品でも私は書かせてくれることを有難いと思い、心をこめて書いてきた。そんな多作の時は、徹夜をすることも多く、よく体がもったと思うが、頭の病気にもならなかった。
「痴呆の心配があります」
一度、徹夜が2日つづいた時、トイレで倒れ、頭を打ち、病院に行くと、盃に一杯、なみなみと血をとられたことがあった。生きている途中で頭がヘンになるのは、天才に多いという、いいかげんな知識を信じて、もしや?と期待して病院にかけつけたが、ドクターはけろりとして、単なる過労だと片づけてしまった。
それでもあきらめきれず、こんな現象は天才に多いのでないかと訊いたら、ドクターは、あらためて私の顔をしげしげと見直し、「天才よりも、こんな現象を度々おこすようでは、痴呆の心配があります」とおっしゃった。そのドクターは、裏千家の塩月弥栄子さんの御主人だった。奥さんよりお若かったのに、早く亡くなられた。美男子すぎたせいかも。
その後、私は痴呆にもならず、何と現在満95歳と3ヶ月まで生きのびている。