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 そして事件の大きな盲点は厳重に管理されている試験問題がまさかターゲットにされているとは、思わなかったことです。それで捜査の手を緩めてしまったのです。3年前からすでに盗まれ続けていたのに刑務所側はそれに気が付かなかった。

 45年の盗み出しでは、全科目の窃取ができなかったので、試験問題を購入した医学部受験生全員が不合格になりました。不合格者の親からの補償の要求もあり、翌46年は『全教科を必ず盗め!』と厳命されて盗み出したのです。

犯人グループがビニール袋に入れて隠していた970万円の札束 ©時事通信社

 しかしAが殺され、入試問題の売り込みは終わり、BやEの仮釈放は取り消され刑務所に再収監され、刑務官も逮捕されました。Aの殺害は結局迷宮入りしましたが、やはり莫大な報酬の分け前を巡るトラブルによるものと警察も見ていました」

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 外部への運び屋をやっていたとされるCとDも逮捕されたが、それは贈収賄という罪状だった。Aに酒色の接待を受けて便宜を図っていたことに対する罪である。

盗まれた入試問題の行方

 当時の報道を見ると、不審な点が残る。昭和46年3月6日の読売新聞は、Aが殺されていた事件にからんで、捜査本部が国立大の入試問題が、大阪刑務所から受刑者によって外部に流れたことをつきとめ、BとEを自供させたと伝えている。

 しかし、その供述内容は「大阪刑務所に服役中、印刷工場から国、公立の入試問題を盗み出し、バレーボールにつめて所外のAに渡したほか、コンクリート塀を乗り越え、入試問題を保管している倉庫から問題用紙を盗んだ」というものであった。

 BやEが仮出所して外から侵入する以前、どのように盗んだ試験問題を外に運んだのか? それをマスコミは一貫して「バレーボールに穴を空けてその中に用紙を折りたたんで詰めて、運動の時間に塀の外にミスを装って飛ばした」と報じているのである。

©iStock.com

 これを坂本は全否定する。

「運動時間は40分。例えばそのときに何かが塀の外に出るのは、ソフトボールでバッターが打ったファウルボールだけです。しかし、ソフトボールに入試問題は入れられない。だから公式発表はバレーボールにしたのでしょうが、バレーは受刑者に人気が無くて天気の良い日に数人が輪になって軽くパスし合う程度だから、高さ5.5メートルの塀の外に出すことはありえません。

 そもそも紙を詰めたバレーボールは空気が抜けている上に重くなっているので、打ち出すのは難しい。そして監視の目が厳重なのです。運動場には立ち会っている2名の刑務官と塀の上にある見張台で勤務する刑務官の監視の目があります。受刑者が塀から1メートルの範囲に立ち入るだけでも、注意を受けます。