1976年5月8日。羽田空港のパーキングはパニックに陥っていた。駐車中の一台の車から異臭が漂い、血が車体から伝わって流れ落ちていたのである。

 駐車場職員の通報によって駆け付けた警官がトランクをこじ開けると、中から毛布にくるまれた下着姿の女性の遺体が出て来た。遺体には首を絞めた跡があり、毛布はロープによってグルグル巻きにされていた。

 被害者は銀座のホステスをしていたAさん。犯人は愛人関係にあった歌手、克美しげるであった。

ADVERTISEMENT

毛布に包まれた女性死体が入っていた乗用車のトランクを調べる警視庁捜査員(東京・大田区の羽田空港駐車場) ©時事通信社

紅白出場歌手はなぜ銀座のホステスを殺害したのか

 1961年にロカビリーのシンガーとしてデビューした克美はのちにムード歌謡に路線変更し、64年には「さすらい」で60万枚のヒットを飛ばして紅白歌合戦にも出場している。

 前田武彦が作詞したテレビアニメ「8マン」の主題歌の歌い手としても知られていたが、その後は楽曲にも恵まれず、低迷期が続いた。不遇な中でAさんと知り合った克美は金銭的な援助も受けており、音楽関係者などへの接待費用なども提供してもらっていたという。

 当時の芸能界は所属事務所がタレントから売り出す費用を吸い上げるという行為が蔓延していた(有名なものが、克美の事件とほとんど同時期に起きた「大原みどり事件」である。福島県小名浜出身の大原みどりさんは実家が資産家であったことに目をつけた担当マネージャーから、宣伝費用の名目で約2億2000万円をだまし取られたのである)。

 内縁の妻のような存在となったAさんからの経済的援助を得て再起を期した克美は、1975年3月に克美茂と改名して再デビューを果たすと、翌年5月には「おもいやり」という2枚目のレコードがヒットとなり、北海道にキャンペーンに行くことになった。