薬物での逮捕、31歳年下女性との4度目の結婚…「その後の克美しげる」
服役中の真面目な態度、出所してからの遺族への真摯な振る舞い、克美は更生し、立ち直ったかに見えた。かつてのミュージシャン仲間で、歌手時代にマネージャーを担当してくれていた小説家、大谷羊太郎の協力を得て、音楽事務所を立ち上げた。愛人殺人で実刑判決を受けながら、芸能界への復帰への意欲はなみなみならぬものがあったと言えよう。
歌への情熱も冷めやらず、埼玉県大宮市で居を構えると、スナックで歌いながら、自宅でカラオケ教室も開いて盛況を博していた。
私生活ではこのカラオケ教室の教え子と離婚と再婚を繰り返していた。しかし、本格的な芸能界復帰はなされず、その葛藤からか、覚せい剤に手を染め、1989年5月には覚せい剤取締法違反で再び逮捕された。10か月の懲役であったが、またしても模範囚として8か月で仮出所。食い扶持はまたしてもカラオケ教室で、58歳となった1996年には31歳年下の女性と4度目の結婚を果たした。
この頃から、脳梗塞などで体調を崩し、闘病生活に入る。それでも回復の兆しを見せると、今では考えられないが、ローカル局の歌番組に出て歌ったり、2001年には、「あの人は今!」で久しぶりの全国ネットでテレビ出演も果たす。しかし、さすがに視聴者からは批判が殺到する。以降、表舞台から姿を消した克美は2013年2月27日に亡くなっている。
克美の事件とその半生を通して、芸能における様々なものが見て取れる。完全復帰はなされなかったが、殺人を犯した人物に対して、20世紀の日本の芸能界は現在に比べて明らかに寛容であった。
大物芸能人が減刑を訴えるなど、今ではその反響を想像してもありえないことであり、また逮捕後に克美のレコードは廃盤にされたが、飛ぶように売れたという。しかもテレビ出演のオファーまであった。コンプライアンスが効いていないととるか、懲役経験者に再挑戦の機会を与えることができたと捉えるか。
いずれにせよ、現在では考えられない。