――ずいぶんとアクティブな高校生ですね。
秋葉 我ながらそう思います(笑)。次の週末に南千住にあったエイケンに本当にお邪魔しました。スタッフの方が本当に優しくしてくれて、「放送初回の1話が見たいんです」という高校生のわがままに試写室まで開けてくださいました。感動してしまって涙でよく見えませんでしたが。結局ファンクラブの話は、原作者の長谷川町子さんの許可が出なくて公式には作れなかったんですが、15歳の時に非公認で「サザエさんファンクラブ実行委員会」を作ることにしました。
――「ファンクラブ実行委員会」ではどんな活動をされていたんでしょうか。
秋葉 会誌を作るために制作会社に取材させてもらいました。「制作裏話が聞きたいんです」ということで脚本家や監督にインタビューしたり、声優さんにも話を聞かせてもらったり。第1回目はサザエさん役の加藤みどりさん、2回目は波平役の永井一郎さんです。今では考えられないくらい豪華なインタビューですよね。
サザエさんで学んだ「本音とタテマエ」
――とても高校生が作る会誌の取材とは思えません。その情熱はサブタイトル収集への情熱に通じるものがありますね。
秋葉 サブタイトル収集にも、この時の取材はおおいに役立ちました。この時に1話から500話までのタイトル一覧をもらっていたので、資料が揃いにくい最初期のリストをかなりスムーズに作れました。もちろんこの時は、いずれ自分が全話リストを作るとは思ってはいませんでしたけどね。この頃はまだ単純な好きの延長でやっていて、自覚的に「このアニメは録画して保存しておく価値がある」と思い出したのは大人になってからのことです。
――ファンから研究に関わり方が変わっていったのですね。何かきっかけがあったのでしょうか。
秋葉 明確なきっかけではないのですが、昭和から平成に元号が変わった時や21世紀を迎えた時など時代が移り変わる時に、「その時代時代を映していたアニメだったんだな」と改めて特別さを感じるようになったんです。あとは自分が大人になる中で、人生で大事なことを「サザエさん」から学んだことにも気づいたんです。
――確かに、小さい頃に見たアニメや物語のことってやけに覚えていたりします。
秋葉 そうですよね。僕がよく覚えているのは「本音とタテマエ」(1979年2月11日)という回です。当時の僕は12歳で、本音と建前という言葉は知っていても、どういうものかがいまいち分かりませんでした。でも「サザエさん」のおかげで「ああこれが本音でこれが建前なのか」と腑に落ちたんです。みなさんもきっと忘れているだけで「サザエさん」に教えられたことはたくさんあると思いますよ。