東京大学専任講師の小泉悠氏による「徹底分析『プーチンの軍事戦略』」を一部公開します。(「文藝春秋」2022年5月号より)

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なぜロシアは苦戦を強いられているのか

 ロシアは強大な軍事大国と認識されることが多いですが、実は、そうとばかりも言えません。ソ連崩壊後に凋落したロシアは、経済力や科学技術力はもちろん、核兵器を除くと軍事面でも、アメリカやNATOに大きく差をつけられてきました。

 軍事情勢の報告書「ミリタリー・バランス」によると、2021年のロシアの軍事費は世界第5位(622億ドル)。1位のアメリカ(7540億ドル)と比べると1桁少ない額になります。また現在、NATOの兵力は欧州加盟国だけで約185万人。ロシア側の総兵力の倍の規模なのです。

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 軍事バランスで劣勢におかれたロシアが戦略的に重視してきたのは、サイバー戦や情報戦などを活用する「非接触戦争」です。

 その手法がいかんなく発揮されたのが、2014年のクリミア併合でした。突如としてクリミアに現れた覆面の兵士集団が議会、行政施設、空港などを次々と占拠していき、約半月後にはロシア編入の是非を問う住民投票が強行され、クリミア半島の独立とロシアへの併合が可決されました。“弱い”はずのロシアが、わずか3週間で、あっと言う間にクリミア半島を併合してしまったので、アメリカもEU諸国も驚愕した。

ロシア軍の大陸間弾道ミサイル

 この間、クリミアではプロパガンダや偽情報の流布、インターネットや携帯電話の妨害、サイバー攻撃などがおこなわれ、ウクライナ軍を攪乱しました。旧来の戦争とは異なる鮮やかな手法は、ロシアの軍事戦略が見直される契機となりました。

 ところが、そのロシアが今、ウクライナで明らかに無様な戦争を繰り広げています。ロシア軍は制空権の掌握に失敗し、地上部隊の進撃も難航している。ロシアの制圧地域はなかなか広がらず、長期戦の様相を呈しています。

 プーチンはこの事態を想像していなかったでしょう。侵攻開始後早々にキエフを陥落させ、3月18日に開催されるクリミア併合8周年の式典を、対ウクライナ戦勝記念式典とする。そこでロシア国民から拍手喝采を浴び、2024年秋の大統領選挙に万全の態勢で向かう……これが当初のプランだったはずです。

 ロシアは思想の国として知られていますが、軍事の領域についても同様のことが言えます。兵力や技術力で劣勢に陥っても、ロシアの軍事思想家たちの発想力だけは衰えることなく、むしろ逆境を克服するためにその創造性を研ぎ澄ませてきた。例えば、戦略と戦術の間を繋ぐ「作戦術」という概念を作り出したのはソ連です。私自身、そんなロシアの軍事思想に興味を持ち、研究を続けてきました。