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イスタンブールで青に溺れる 発達障害者の世界周航記』(文藝春秋)

 自閉スペクトラム症があると、空間把握が苦手な当事者が多くいます。トラウマを負う脆弱性が高く、離人症的に解離しやすい人もいますが、私はその両方があって典型的です。逆にいうと、身近な空間がぐちゃぐちゃして感じられるので、大空とか大海原とか宇宙とか、ざっくりと大きなものに繋がりたがる傾向が強い。

 私の最初の本は『みんな水の中』という書名ですが、そんな「みんな水の中」という朦朧とした感覚に満たされ、まるで空の水底を生きているような感じもします。そして、その「水の中」の青さは、実は普段いつも眼にする空から構成されているところが大きいのです。

自分の行動を当事者研究の観点から捉え直したとき、人生が新しい意味を持ち始めた

――横道さんは40歳のときにASD、ADHDと診断されていますね。

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横道 発達障害を抱えている人が、人生のどの段階でつまずくかは、それぞれです。早ければ乳児期で発見される。私の場合はそうでなく、「謎の変人」として生きてきたのですが、20代のころから喋りすぎのコミュ障で、ADHDに由来する衝動性や多動性も明らかでした。29歳で大学に就職してからは、いろんな人間関係もうまくいかなくなってアルコール依存の傾向が出て、不眠症が深刻になり、結局は40歳のときに鬱状態で一時休職することになりました。そのとき、数年前から疑っていた発達障害の検査をして、診断を受けました。  

 当初は多弁からADHDと診断されましたが、熟練の心理士が、僕の場合はASDが中心で、ADHDが付随していると見抜いてくれ、自分でもそうだと気づきました。感覚過敏な上、空間の立体的把握が困難だったり、人の顔の見分けがつきにくかったり、あるいは他人と断絶感を感じやすく、自分自身を宇宙人のように感じていたことの意味がわかって、感動しました。その心理士からの報告を踏まえて、主治医も診断を変えてくれました。

 そして、これまでの自分の行動を当事者研究の観点から捉え直したとき、人生が新しい意味を持ち始めたのです。

 ノンフィクション作家の高野秀行さんが、「ASDはSF的で、ADHDは落語的」という鋭い指摘をしていますが、まさに文学的でロケット的に極端な想像力にあふれた“SF的感覚”と、多動で失敗ばかりの自分に対してオチをつけなきゃ気が済まない“落語的な感覚”が自分の中に混在しています。

――本書でも、ウィーンの夜道が月面世界に接続したりするような、SF的美しさがあります。

横道 そんな月面世界に、ムージルの『特性のない男』や古井由吉の「杳子」が重なるようなイメージの飛躍はASD的なのかもしれません。さらに極端な事例で言うと、パリの街の美しさと愛する俳句10句が等価に立ち上がってくるように感じられたり、グラナダで感じたフロー体験のなかにヴァージニア・ウルフの『波』に描かれた時空が重なったりします。

 突拍子もない飛躍をよくするので、「賢いのかバカなのかわからない」とずっと言われ続けてきました。でも、ASDがあると興味が限定されていて、のめりこみやすいので、論文を書いたり研究をしたりするにはプラスに働くことも多い。個人的な印象では、大学の研究者の4~5人に1人は発達障害者だと思います(笑)、一般社会では20人に1人ですが。