障害者にとって生きやすい世界は、誰にとっても生きやすい社会設計
――ある部分では突出した能力を発揮するのに、日常的なコミュニケーションや認知のトラブルが多かったりすると、誤解を招きそうですね。
横道 能力がひどく凸凹(デコボコ)しているんですよ。「発達障害」というと、語感のせいもあって、育児の失敗や家庭環境のせいで「発育」に支障がでたように誤解されがちです。でも正しくは、先天的な脳の器質に原因があり、生まれつきの障害です。「障害」なので、「病気」とは異なり、治療法は存在しませんし、近い将来それが開発されそうな気配もありません。
「障害」をめぐっては、2つの捉え方があります。例えば視覚障害者だったら、目が見えないという身体的器質に障害の原因があると考えるのが「医学モデル」。一方、目が見えない人が生きづらい社会環境に障害の発生源があると考えるのが「社会モデル」。つまり後者では、当事者が生きづらくない社会設計ができれば、もはや障害が障害でなくなるのです。
――70年代以降の障害者運動のなかで、社会の側が変わることが、健常者にとっても居心地のいい社会になることは証明されてきたように思います。たとえば車椅子を使う方々のために駅のバリアフリー化が進められたことで、ベビーカーを使う親や普通の高齢者、疲れている健常者にとっても多大な恩恵があったように。
横道 まさにその通りで、障害者運動の流れは発達障害の分野にも影響を与え、90年代後半から、自閉スペクトラム症者の権利要求運動としてのニューロダイバーシティ(脳の多様性)が提唱されるようになってきました。全人類は脳の多様性を生きていて、発達障害者はその少数派に過ぎず、人間の多様性を表現しているというわけです。
発達障害者にとって働きやすい職場は、定型発達者にとっても快適です。僕自身は電話がひどく苦手ですし、複数の作業を同時にこなすのが難しい。発達障害者は注意欠陥や強烈なこだわりや過集中などで、向き不向きの仕事がはっきりと分かれるため、「適材適所でマネージメントしてもらう」必要があります。
でもそれは定型発達者もまったく同じで、みなさんだって適材適所で個々の特性を尊重してもらったほうが圧倒的に働きやすいでしょう。障害者にとって生きやすい世界は誰にとっても生きやすい社会設計なんだ、という共通理解をもつことが大切だと思います。
現状では障害者への「合理的配慮」に健常者が辟易することが多い。「なぜ自分たちばかり配慮しなければいけないのか?」と。でも、それは調整の失敗だと思います。お互いに得るものがあるような調整をしていくべきですね。