発達障害者と定型発達者との境界線は曖昧
――発達障害の特性が「障害」にならないよう、工夫されていることはありますか?
横道 多くの仲間と同じく、私もマルチタスクが苦手なので、まずやるべきことを緻密に分解して、それをこなすためのスケジュールを周到に組んで、順番に1つ1つやるようにしています。ADHDの「多動性」は、脳内に複数の思考がわーっと同時に走って、結局は動けなくなってしまう状態です。まるで古いパソコンで使いたくないアプリが勝手に同時起動して、OSが耐え切れずにフリーズしてしまうように。
だから、やるべきことや情報には、必ず優先順位をつけて整理するようにしています。たとえば論文を書くための資料は、テーマごとに束にして積んでいますし、こまめにスマートフォンでメモを取ります。所有物は定位置にしまうように徹底的に習慣化しています。
収集癖のある自分がいうのはなんですが、ミニマリストになること――なるべく最初から身の回りにモノを置かないことが、発達障害者が快適に生活し、仕事をするコツだと思います。
――定型発達者にもそのまま活かせるライフハックですね。
横道 はい、定型発達者でも、多くの人が収納の問題に困っていますもんね。いま認知科学の領域では、大多数の人は定型発達からASDやADHDへのなだらかなグレーゾーンのどこかにいるのではないか、という考え方が広まってきています。つまり、発達障害の診断には至ってないものの、たとえばASD的な要素を大なり小なり持っている人はたくさんいて、発達障害者とくっきりと線引きできるものではない。違いは曖昧なのです。
また、海外で観察していると、日本の語学教育を受けた人の多くは「発達障害的」環境におかれます。聞く・話す・読む・書くをバランスよく伸ばしていく欧米の語学教育と異なり、日本式に文法を詰め込まれて語彙を暗記し、文学作品をテキストにする教育を受けた人はリスニングが苦手でほとんど喋れず、現地でのコミュニケーションに難渋します。
結果、語学能力が凸凹しているために苦しんで、発達障害者的な行動をしている日本人が多く見受けられます。つまり、発達障害はそもそも先天的なものなのに、環境次第でそのような特性が出てきてしまう。
――実に興味深いですね。他に発達障害的だと感じるのはどんな場面でしょうか?
横道 イライラと多動気味に振る舞うのはいかにもADHD的な行動ですが、最近ウィーンから日本に帰国して思うのは、普通に横断歩道を渡っていても、曲がってくる車が歩行者にジリッ、ジリッと圧迫するように動いてきて、さっさと渡れ! と言わんばかりです。ウィーンでは、歩行者がちゃんと渡りおわるのをじっくり待ってから車は発進するのが常識。日本に帰ってきて、改めて「なんで僕たちは、こんなにADHD的なんだ?」と衝撃を受けました。