奇しくも私がこの小説を読んだのは、福井県の芦原(あわら)温泉にあるストリップ劇場「あわらミュージック」の楽屋だった。縁あってこの地でデビューし、2年の間に幾度となく足を運び、暮らすことも考えたその場所は、「行く」というより「帰る」感覚に近い。帰る度にあわら市在住の知人が増えていき、私を「おかえり」と迎えてくれるのだ。塩田氏がこの小説を書くにあたって取材した関係者の方々にも、そう遠くないうちにつながっていくだろう。劇場の自転車を乗り回し、部屋着にすっぴんで買い物をしても、私が「ミュージックの人」という余所者であることを、誰もが知っているような土地なのだ。東京に生まれ育った私には新鮮でくすぐったい感覚だが、暮らせばそれが窮屈に感じることもあるだろうことは想像がつく。その体感が『朱色の化身』を読むにあたって、これほどリアリティを生むとは、思いも寄らぬ副産物であった。踊り子という仕事柄、様々な劇場に足を運ぶが、その土地ごとに人の性質が違う。あわらの人が話す福井弁はうねりのあるイントネーションがどこか人懐っこく、温泉地ということもあって、のんびりと朗らかな人が多い印象だ。
物語は、元新聞記者の父親から個人的に調査を依頼され、行方不明のゲームクリエイター「珠緒」を探すことになったライターの「亨」が主人公だ。彼は微かな繋がりを辿って、彼女の出身地である芦原温泉街に足を運ぶ。根気よく関係者に話を聞いていくなかで、昭和31年に起きた街を焼き尽くすほどの大火が、その7年後に生まれた珠緒の人生に、暗い影を落としたことが浮かび上がる。誰もが暗黙の了解として知っている「秘密」は、この地で暮らし続ける者同士を繋ぐ鎖だ。どうしても隠したいことがある人にとって、知ろうとする人は、それがどんなに無邪気な好奇心だとしても、脅威である。どうかあきらめて欲しい、そっとしておいて欲しいと願い、嵐が去るまで息をひそめて、やり過ごしてきたのだ。ただ平穏な暮らしを求めて、この世の不条理を受け入れるしかなく、常に追っ手から逃げ続けた祖母と母、そして珠緒は、あの大火と、芦原温泉街という土地と、彼女が生きた時代の被害者とも言えるのかもしれない。
本書はフィクションだが、私の中の情報に血を通わせる。その興奮は、小説でなければ味わえないエンタメだ。実際に立派な旅館や古くからある駅前の商店を焼失したこの街では、今も変わらず良質な湯がこんこんと湧き、新たな宿が建ち並び、遠くからやって来たお客を笑顔でもてなす。だが一歩踏み込めば、地元の人たちにとって、あの火事は遠い昔の出来事ではなく、今もまだくすぶり続ける火があるのだろう。それが人を縛り付ける鎖ではなく、人と人とを繋げる鎖であって欲しいと願う。
しおたたけし/1979年兵庫県生まれ。関西学院大学を卒業後、神戸新聞社を経て独立。『盤上のアルファ』で小説現代長編新人賞、将棋ペンクラブ大賞。『罪の声』で山田風太郎賞、『歪んだ波紋』で吉川英治文学新人賞。他著に『騙し絵の牙』『デルタの羊』等。
あらいみえか/書店員、エッセイスト、踊り子。千早茜との共著『胃が合うふたり』、単著に『本屋の新井』等。朝日新聞で連載中。