僕だってたとえばサプリをポチったらアメリカから発送されてきたり、中国のアリババで怪しげなスマホグッズを買うことだってあるわけで、個人の購買活動が国を越えて広がっていたところに、パンデミックとなったのだ。
なんでも自宅で済ます人が増えた結果、2021年5月頃には、40フィートコンテナ1個あたりの輸送価格がコロナ前の3倍ほど、5000米ドル超に上昇。そのあおりが群馬県の舘林にも届いているというわけだ。輸送コストは上がったうえに、海運の流れが悪い状態が続く。
「私のヤードも車いっぱい。動かないよ」
とアウンティンさんは言う。
ロヒンギャが館林に住んでいる理由
また、就労できる在留資格を持っているロヒンギャの多くは地域の工場で働いているが、こちらもやっぱり減産で、
「いまは定時で終わり。残業もなし、土日も休み。でも今年はまだいいですよ。去年(2020年)は、4月から7月くらいまでかな。月に10日しか仕事がないってこともあった」
そもそもかれらロヒンギャが館林に住んでいるのは、この地域に外国人を受け入れる工場があったからだ。
地元の雄・スバル関連のさまざまな裾野産業が、太田市を中心とした群馬県南東部に広がっている。その下地は明治時代に隆盛した繊維産業にあるというが、そこからさらに発展した製造業の現場で、たくさんの外国人が働くようになったのはバブル時代だ。とくにパキスタン人が多かった。
かれらはバブル崩壊とともに切り捨てられ、多くは国に帰ったが、日本に根づいた人たちもいる。そして「日本製中古車の途上国への輸出」という、それまで未開拓だったビジネスに着目し、財を成した人も出てくる。
90年代から日本にやってくるようになったロヒンギャは、同じイスラム教徒のよしみでパキスタン人と仕事をともにするようになり、やがてヤードの多い館林にコミュニティをつくった。そこにアウンティンさんが合流したのは1999年のことだ。それから同胞を頼って、迫害の続くミャンマーから逃れてくる人が寄り集まる街になった。
「館林には仕事があるし、物価も東京より安い。いいとこですよ、住みやすい」
しかし、およそ280人のロヒンギャの中で、難民として認められたのは15人ほどだという。あとは「人道的な配慮による在留特別許可」となり、「定住者」「特定活動」といった在留資格をもらい、暮らしている。いずれも就労ができ、保険にも入れるが、それでもかれらは難民ではない、というのが日本政府の立場だ。