「口裂け女=母親説」
現在、口裂け女の検証として最も参照されることが多い資料は、『週刊朝日』1979年6月29日号の記事だろう(注4)。たしかに貴重な労作だが、この時点で早々に「口裂け女=母親説」がスタートしていた。心理学者の秋山さと子による「『口裂け女』、それはお母さんのことですよ」などのコメントがそれだ。秋山はこの後も、口裂け女を「呑み込む母」、あるいはユング心理学の「太母」と見なす考察を展開している(注5)。
1979年はまた、1月に第1回共通一次試験がスタートするなど、「受験戦争」「進学塾」が注目された時期でもあった。60年代から続く「教育ママ」言説もさらにクローズアップされる。「大流行」のメディア最初期報道である『岐阜日日新聞』「編集余記」でも、「寒空に塾通いを強いられた子供が被害者意識のこうじるあまり創造した現代のお化けかもしれない」と、塾通いと口裂け女が結び付けられている(注6)。
「大流行」以降、口裂け女の噂は、子供の進学塾通いが原因だとする論調は数多く生まれた。帰り時間が遅くなった夜道の恐怖が噂を生むのではないか、岐阜は教育熱心な土地柄なので塾通いの率が高い、または逆に、塾通いできない子供をなだめるため、親が口裂け女の噂を語ったのだ……などさまざまな言説が飛び交ったが、いずれも根拠は薄い。
民俗学者の宮田登も「受験社会だからいつも勉強しろ、勉強しろとせめたてられている。そのイメージが口裂け女の姿をとった、般若面で口が裂けた恐ろしい形相の女の姿になって襲いかかってくるというのである」など、口裂け女=教育ママ説を支持する態度を示している(注7)。
こうした言説は、後年、批判を受けることにもなる。木下冨雄は社会心理学の立場から、秋山の「グレート・マザー説」、宮田の「教育ママ説」ともに「口裂け女=母親とする深層心理的な解釈は、残念ながら誤っている」と否定。
「子どもたちは、口裂け女のような非科学的な存在を必ずしも信じるわけではないが、逆にだからこそ、そのような超自然的存在がいてくれれば、ゾクゾクするほど嬉しいということなのである。口裂け女が、子どもたちにとっては、「見たし怖し」という、恰好の遊びの対象であったことがわかる」
「優れた民俗学者や精神分析学者が、なぜこのような誤りを犯したか。それは、彼らがおとなの物差しで、子どもたちの心理を読もうとしたからである」
「おとながこの噂に関心をもったのは、彼らが「性」の香りを、この主題の中に嗅ぎとったことの投影である。換言すれば、おとなたちが口裂け女=性的象徴と解釈したのは、自分たちが性に関心があることを、無意識のうちに告白したことにほかならない(注8)」
私も、口裂け女の噂に「母親」を投影し過ぎる考察は当を得ていないと考える。先述した通り、「大流行」前の口裂け女の噂は、「ただの人間」による「イタズラ」「異常行動」がオチとなるような実話性にこそ特徴があった。楳図のヘビ女のような心理学的「母親」イメージの投影はほとんど見られなかったのだ。