「口裂け女」を覚えているだろうか。マスクを取ると口が耳まで裂けている女であると説明されることが多い。「わたしキレイ?」というセリフもお馴染みだ。

 これまで口裂け女の噂は、1979年に日本で大流行したことがその始まりだとされていたが、オカルトや怪談の研究をライフワークにする吉田悠軌さんの調査によれば、それよりもっと前、少なくとも1970年代半ば~後半には口裂け女の噂が全国に広まっていたのは確かなようだ。

 吉田さんによると、「口裂け女」の噂がメディアで取り上げられた最も古い記録では、「裂けた口のメイクをして人を脅かす女性が出没するから気をつけるように」というオチがあったという。つまり、その話の中の「口裂け女」はただの人間だったのである。

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 1979年の「大流行」だけで口裂け女を語る訳にはいかない。むしろ、この年の「大流行」によって、それまであった口裂け女の噂が変質してしまった点にこそ着目すべきだろう。ここでは、吉田さんが怪談をもとに現代人の恐怖について分析した『現代怪談考』より一部を抜粋。もとはただの人間だったはずの「口裂け女」のイメージはどのように変わっていったのだろうか。(全2回の2回目/前編を読む

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 我々がよく知るように、79年「大流行」あたりから、口裂け女の過剰なキャラクター化が進んだ。「わたしキレイ?」「マスクを装着」「鎌や包丁で子供の口を切り裂く」「べっこう飴が好きでポマードが苦手」といった要素は「大流行」前にもぽつぽつと見られた要素だが、年が進むにつれて特徴として固定されていった。

 特に注意すべきは、「大流行」前の口裂け女は「鎌や包丁で子供の口を切り裂く」といった攻撃を行う場合が少なかったことだ。裂けた口を見せて脅すだけに止まり、他の行動はせいぜい追いかけてくる程度、刃物で傷つけてくるのも皆無ではないが珍しいパターンである。

 しかし79年頃から、「子供の口を自分と同様にするため裂いてくる」攻撃型が定番化されていく。そのため過渡期には、脅すだけの「口裂け女」とは区別して、こちらの攻撃型を「口裂き女」と呼んでいたともいう(埼玉県川越市、79年春頃の事例)。

「口裂き女」は、さまざまな調査資料を読むと散見される呼び名だが、単純な言い間違えや無意味なローカル変化ということでは済ませられない。口裂け女の性質が悪化し、「ただの人間」から怪物めいた存在へと移行していく流れを、子供たちが敏感に感じ取り、意識的に呼び名を変えていったことを示してもいるのだ。

「大流行」後はこれに「トレンチコートにパンタロン」「赤いスポーツカーに乗っている」といった世相が反映がなされ、果ては「100メートルを高速で走る」などの超能力まで付け足される。「ただの人間」が口の裂けた仮装をしているうち、本当に口の裂けた怪物となってしまったという……。