あちこちで聞こえてくる「いま有吉が面白い!」の声
4年後の2004年3月─。猿岩石はひっそりと解散した。
猿岩石は転がる石のように転落し、有吉くんの、ひとりぼっちの雌伏期間が始まった。
よく言うところの「一発屋芸人」という響きはネガティブな陰を背負うが、実のところ、一発屋芸人は「一度も売れていない芸人」と比べて、ポジティブで明るいのが芸能界の相場だ。つぶやきシローなどは「死亡説も出てたけど……ちゃんとテレビに出てるよ。『あの人は今⁉』にレギュラー出演してる気分だけどね」などと屈託なく話すほどだ。
売れない芸人に纏い付く、こびりついて取れない負け犬臭は、たとえ短い一発屋であろうと栄光体験を勝ち得た瞬間、綺麗さっぱり剝がれて落ちる。
世に言う“芸能人オーラ”を仄かに残しているものである。
しかし、有吉くんは違った。どこで見かけても、陰のある卑屈な面持ちで、芸能界の片隅で苦々しそうに生きていた。そこにはアイドルとして売れていた頃の面影など微塵も無く、黒く淀み僻んだ視線だけが際立っていた。
だが、その一方で「いま有吉が面白い!」という声は聞こえてくる。
芸能界に於ける派閥が違うボクですら、印象的な報告が相次いだ。
最初は高田文夫先生からだった。
2005年、高田文夫責任編集・お笑い専門誌『笑芸人』にて、ダチョウ倶楽部・上島竜兵率いる太田プロの先輩後輩交流会「竜兵会」の潜入取材が敢行された後日、先生との雑談でお墨付きの言葉を耳にした。
「博士ッ、有吉のツッコミってホンモンだよ。酔ってない時にアレ出せたら、アイツ、これから化けるよ!」
と、わざわざ名指しで押してくるあたり、これはよほどのものと気に留めた。
二度目は2005年12月6日─。日本テレビの3時間半のお正月番組『ものまねバトル』で、我々、浅草キッドは「80年代アイドル同窓会」と題した番組内のワンコーナーの司会を任された。
80年代を彩った絢爛豪華なアイドルたちを捌き、無事にコーナー終了でお役御免の帰り際、次のモノマネステージの出番待ちの一群に、渡哲也の衣装を着た有吉くんを見つけ、初めて彼に話しかけた。