お笑いコンビ「猿岩石」としてバラエティ番組の企画で注目を集め、その勢いでCDデビューを果たすと、ミリオンセラーを記録。しかし、人気は長続きせず「一発屋」として扱われ、コンビ自体も解散……。有吉弘行氏は芸能界の天国と地獄を味わった人物だといえるだろう。
現在はテレビで目にしない日はないほどの売れっ子だが、人気者に返り咲くまでの間は、いったいどのように過ごしていたのか。ここでは、水道橋博士氏の著書『藝人春秋』(文春文庫)の一部を抜粋。同氏が肌身で感じていた、有吉氏への周囲の期待を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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「僕は芸能界では生き残れないかもしれませんが、相方だけは生き残りますよ!」
「♪風に吹かれて消えていくのさ 白い雲のように」
自らの行く末を暗示するような歌詞を歌いながら、その下山に悲惨な道行が待っていることは、誰もが予測していた。
2000年3月─。猿岩石のベストセラー本『猿岩石日記』が、ブックオフの100円棚に堆く積まれていた頃。
ボクは歌舞伎町で映画を観た帰り、同じ事務所の後輩芸人ジョーダンズ三又(現・三又又三)に野暮用で電話を入れた。
三又は丁度、猿岩石の有吉じゃないほう森脇和成と昼の3時から飲みつづけているとのこと。いまだに飲み足らず河岸を変え、こちらと合流することになった。
猿岩石とは何度かスタジオですれ違ったが、それまで話をしたことはない。
初対面の森脇くんは酔いもあり、興が乗ってきたようで次第に饒舌になり、今まで浮名を流したアイドルの実名を挙げ、暴露話に終始した。
さらには、その酩酊状態のまま「将来は銀座に店を出したい!」「ホストクラブを経営したい!」などと、副業、特に水商売への意欲を熱く語っていた。
彼は浮かれていて野放図であけっぴろげだった。
深夜1時にボクは先に席を立ったが、彼らは共通のオダン(スポンサー)と連絡をつけると、六本木へと向かうタクシーに乗り込んだ。
話の最後の方で森脇くんが、
「僕は芸能界では生き残れないかもしれませんが、相方だけは生き残りますよ! あいつはまだ何も見せてないですから……」
と泥酔したまま呂律の回らぬ調子で言っていたのが引っかかった。
ボクが有吉くんのことを意識したのは、その時が初めてだった。