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 わしは、君を誉めたい。たしかに身体は動かなかったかもわからないが、それでも君は何とか、その女性を救ってやりたいと思ったのだから、わしはそれでイイと思っている。無理に前へ出て、大怪我でもして、君の家族を悲しませるより、思いとどまった、君の神経は、やはりバランスがとれていたんだよ。

 こうして正直に打ち明けてくれている姿勢から、わしは君が立派な人間に成長できると思うよ。

 さまざまな理不尽に対して、見て見ぬふりをしてしまうのかね。

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 それも人間だよ。ナマジ、それを忠告したり、旗を手に掲げてむかって行くと、思わぬ結果が待っているものだ。

“見ぬふり”を悔やむなら、それが“いつか必ず”強靱な力となる

 見て見ぬふりも、きちんとしたひとつのやり方だ。但し、口惜しかったり、悔み続けるのなら、見ないふりをした状況を、きちんと書き止めて置くんだね。それを何度かくり返していたら、必ず見ないふり以外に、何か別の方法がなかったかを考える機会になるから、やがて、見ぬふりではない方法が必ず見つかるはずだ。

 正しいことを実行するのは大変に難しいことだ。なぜなら、悪事をくり返す奴には、それが初めから悪いとわかってやっている小悪党気質があるからだ。

 今は見ぬふりをしているが、オマエたちのした悪事を、私は許さない、いつか必ず償いをさせるという信念を持っていれば、必ず相手は崩れて行くものだ。

 ちいさな力でも、消え入りそうな声であっても、1人、2人と手を重ねて行けば、たしかで、強い力になる。君のこころに湧いたものは、いつか必ず、強靱な力となって、君の腕を持ち上げたり、背中を押してくれる。

 大切なのは、見ぬふりをやめることより、目にしたことを忘れずに、胸に刻んでおくことだ。そこから1歩目ははじまるから。

 では最後にもう一度忠告しておこう。

 相手の力が上で、かなわないと感じたら、踏み出すナ。

 見ぬふりは誰もが一度ならず経験し、苦い思いをしているものだ。その苦味を決して忘れないようにしておけば、それで十分だ。

 “いつか必ず”。これを合言葉にちいさな力同士であっても、その手をつなぎ合うことだ。そうすれば、“いつか必ず”が実現する。それが成長だ。

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大人への手順

伊集院 静

文藝春秋

2022年4月22日 発売