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 日本は人生における選択肢の幅が狭く、あてがわれたレールに乗らないと、厳しい人生を余儀なくされます。近年、ネットの発達で可視化されましたが、他人に対する常軌を逸したバッシングが日常的に行われていることや、子ども連れの親やマイノリティに対するひどい対応など、日本社会が寛容でないことは明らかです。

 似たような結果は、他の国際比較調査でも鮮明となっています。

 2018年に内閣府が行った「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」によると、自分自身に対して満足しているかという問いに対して「そう思う」と回答した若者(13歳から29歳)の割合が日本は10・4%と7カ国でもっとも低い数値でした。満足度が一番高かったのは米国で57・9%となっていますが、日本の次に低かったスウェーデンでも30・8%ありますから、日本の若者の満足度はかなり低いと考えてよいでしょう。

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 ちなみに「自分の考えをはっきり相手に伝えることができる」と回答した日本人は13・8%で最下位、「うまくいくか分からないことにも積極的に取り組む」と回答した日本人は10・8%でやはり最下位でした。

この写真はイメージです ©iStock.com

日本人はチャレンジできないから、自分自身に対する満足度が低い

 自分の考えをはっきり伝えられなかったり、うまくいくか分からないことにチャレンジできないのは、周囲からのバッシングを恐れていることが原因と考えられます。日本では何か失敗すれば、周囲から激しく責め立てられますから、新しいことにチャレンジできず、結果として、自分自身に対する満足度も低くなっている様子がうかがえます。

 最近はだいぶ雰囲気が変わってきたとも言われますが、基本的に日本の教育現場では児童生徒を褒めて伸ばすのではなく、ダメ出しで抑圧する方法が主流でした。

 一部の教師は児童生徒に対して「お前はバカだ」「なんでそんなに頭が悪いんだ」と全否定するような𠮟り方を繰り返しています。ようやく学校を卒業して社会人になっても、若手に対して抑圧的に振る舞う上司は多いですから、ますますマインドは萎縮します。こうした環境で積極性を育むのはかなり難しいと考えた方がよいでしょう。

 ネットが普及したことで様々なことが可視化されてきましたが、ネットで配信される記事のコメント欄を見ると興味深いことが分かります。

 日本では記事に対して意見を述べるのではなく、書いた人に対する凄まじいまでの誹謗中傷が延々と続くのは珍しいことではありませんが、その内容にはいくつかの明確なパターンが見られます。そのひとつが学校教育を起点とした表現です。