たとえば「ムー」は麻原彰晃(のちオウム真理教教祖)の空中浮遊写真の記事(1985年10月号)や、麻原が伝承上の金属・ヒヒイロカネを発見したとする記事(1985年11月号)などを掲載している。
上祐史浩(オウム真理教幹部、現・ひかりの輪代表)は著書『オウム事件 17年目の告白』(扶桑社)のなかで、これらの記事を読んで翌年夏に入信したと述懐しており、自分たちが望むと望まざるとに関わらず、オカルト雑誌は若者を新興宗教へと導く片棒を担いでしまっていた。
オカルト雑誌の文通欄を通じて同好の士とマッチングできた幸福な事例もあっただろうが、それらは新興宗教などにつながってトラブルに巻き込まれた可能性とも背中合わせだった。
セーラームーン、犬夜叉、ブームのその後
「前世の仲間探し」はオカルト雑誌が扱わなくなったことで減少していった。とはいえ、転生を題材にした作品は、なくなったわけではない。
『美少女戦士セーラームーン』(武内直子)の主人公・月野うさぎは、前世は月の王国「シルバー・ミレニアム」の王女プリンセス・セレニティだし、『犬夜叉』(高橋留美子)のヒロイン・日暮かごめは、戦国時代の巫女・桔梗の生まれ変わりであるように、転生要素は作品のギミックとして扱われ続け、読者も自然に受け入れてきた。
そして今、空前の転生ブームである。
では、現在の転生ブームは、80年代の「前世の仲間探し」のような危険性をはらんでいるのだろうか。
おそらく否、である。
悲壮感からカジュアルに…現在の転生ブームを駆動させるもの
「前世の仲間探し」に血道をあげた自称「転生戦士」たちは、軸足が現世にある分、「ある日、突如として前世の記憶がよみがえる」可能性を信じ、前世からの宿命を背負って(いると感じて)いた。前出の「私を仲間と感じる方、助けてください!」の投稿からも、その悲壮感がうかがえるはずだ。
いっぽうで現在の転生ブームの主流は、現世の主人公が異世界に放り込まれる物語構造(異世界転生)を取るため、自分の身には起こり得ないファンタジーな出来事として読者に受容されやすい。
生前の功徳(猫を救ってトラックにはねられる、など)が転生のトリガーとなっているケースは多いが、かといって前世の行動によって世界を救う宿命を背負わされるような、宿業(カルマ)に縛られている作品は主流ではない。仏教において苦しみの象徴である輪廻転生は、換骨奪胎された結果、誰もが荒唐無稽な絵空事として受け取れるカジュアルなものとなり、フィクションとして消費されている。いまの「転生もの」のファンは、80年代の「転生戦士」のように思い詰めてはいない。
80年代に「前世の仲間探し」をした自称「転生戦士」たちは、いまでは50歳を超えている。かつての「転生戦士」たちは、いまの異世界転生ブームをどのように見ているのだろうか——。