「私は20年来さまざまな事件を取材していますが、これほど感銘をうけた証言・陳述はありませんでした。陪審院で傍聴者がこんなに嗚咽するのを見たことはありません。プレスルームでも皆うつむいて涙をこらえていました。
お母さんはたくさん涙を流しましたが、そのもらい泣きではありません。彼女の威厳、力強さによるものです。
まず2時間にわたって愛海さんの人柄、セペダ被告との関係を語りました。被告を家族の様に迎え入れていたこと。被告も愛海さんの家族は自分の家族のようだと言っていたこと。まったく家族の一員の様にしていたのに悪い奴だったこと……。
きっぱりと『世界中の女性のためにこの男は世の中に出してはならない』と断罪しました。
結局3時間半にわたって話しましたが、皆その言葉にひきつけられていました。『長くなりすぎて申し訳ありません』と言っていましたが、けっして長すぎるということはなく、思わずみんな喝采でこたえました。
彼女にとっても解放の瞬間だったのではないでしょうか。この5年間彼女は何も話さなかった。マスコミにもしゃべらなかった。いわば5年間この時を待っていたのです。彼女はようやく娘と一体になって弔いをはじめられるように感じました」
ジャカール記者はこの陳述が、裁判全体の転回点であったという。
「お母さんは静かに、落ち着いて話しましたが、検事の求刑論告よりも力強かった。この証言のおかげで、刑期にも影響があったはずです。
セペダ被告の弁護人もお母さんの話を聞いて、感動したと思います。2人とも女性で、愛海さんの母の苦しみが分かるのだと思います。彼女たちが弁護の方針を変えたのもこの力強い証言があったからだと思います」
「自分の経歴のなかで最も難しい裁判だった」被告の弁護士が漏らした言葉
母と妹が外に出ると、傍聴していた人たちが駆け寄って「応援してますよ」「頑張って」と声をかけた。妹さんが折り紙をつくって、お礼に渡していた。
「事件の取材をしておらず、ずっとフォローもしていなかったベテランの事件記者も、はじめは『たいしたことない』といっていましたが、だんだん違うと感じるようになり、2週間たつと、『こんなのは初めてだ』と言っていました」
セペダ被告のラフォン弁護士も「自分の経歴のなかで最も難しい裁判だった」と記者団に答えている。
ジャカール記者に「被害者が日本人、犯人がチリ人ということでの影響はなかったか」と問うと、
「そんなことはありません。フランス人同士でも同じだったと思います。ただ、セペダ被告が、わざわざ1200キロ旅して愛海さんを殺したということは影響したと思います。同居している家の中で殺したのとは違います。1カ月前から考えて、復讐するためにフランスに来たんですから」
判決が下された時、セペダ被告は無表情だった。全く感情を外にあらわさない。よくいう仮面のような表情である。
セペダ被告はさっそく控訴したが、ジャカール記者は「リスクをとった」という。
「もちろん減刑される可能性はありますが、逆にもっと重い罪になる可能性も高いのです」