前回述べたように、一九七〇年代の東映作品はカオスに満ちていた。それを表現する言葉として前回は「猥雑」を挙げたが、実はもう一つある。
それが「殺伐」。暗黒に覆われた、重苦しく救いのない作品も多いのだ。娯楽映画と思って気楽に触れると、強い精神的なダメージを喰らう。
今回取り上げる『三池監獄 兇悪犯』は、その最たるもの。
なにせタイトルからして、地名以外は全ての漢字が殺伐。そのタイトルを裏切ることなく、徹底して殺伐とした人間模様が映し出されていく。
舞台となるのは、明治時代に三池炭鉱にあった「三池集治監」。集治監とは今でいう刑務所のような施設で、この地は冒頭のナレーションで次のように説明されている。
「三池集治監には懲役十二年から無期懲役の重罪犯人が収容されて、石炭採掘の労働を強制された」「実際には彼ら重罪人を牛馬のごとく酷使して、ついには社会から抹殺すべく設計」。この、ただならぬ気配を放つ文言が、小池朝雄の声で流れていくものだから、いきなり不穏きわまりない。
舞台が舞台だから、物語の大半は暗くて狭くて湿った炭鉱の中。囚人たちの服装はほとんどがフンドシ一丁で、全身が汗まみれ、泥まみれ。画面に華やいだ明るさは一切ない。そんな生き地獄のような世界からなんとか脱しようと抗うのだが、そう上手くはいかない。
看守側を演じるのが、安部徹、金子信雄、山本麟一、遠藤辰雄、天津敏。当時の悪役オールスターが揃っているのにふさわしく、策略、暴力、非情さ、全てにおいて抜け目がないのである。ただ力で支配するだけでなく、飴と鞭を巧みに使ってスパイを作り出したり、仲間割れを誘ったり。囚人たちを一枚岩にさせない。
特に、主人公の囚人・通称「北海常(ほっかいツネ)」(鶴田浩二)への対し方が凄い。常は手足を縛られた状態でも子分たちを使って看守を人知れず殺したり、対立した囚人を返り討ちにしたりと、脱獄のためには手段を選ばない非情な男だった。看守たちはそんな常が脱獄に失敗した際には凄絶なリンチを加えたり、寒くて狭い檻に閉じ込めたり、当初は厳しく当たっている。が、その後で美女と白米をあてがい、いとも簡単に籠絡してしまうのだ。
そして、一度は決起した囚人たちの末路は悲惨そのもの。岩盤の脆いエリアの採掘作業をさせられた挙句に落盤事故で全滅してしまう。「みんなをお天道さんの当たる所に出してやってくれ!」という常の叫びも、空しく響くのみだ。
こうも救いのない地獄絵図が娯楽映画として成り立ってしまうことこそ、当時の東映カオスの真骨頂といえる。