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外資系に移って小遣いが1万円になったけど…

――とにかくお金を稼ぐことに集中したと。

 そうです。それまでは日系の会社でのほほーんとしていたけど、外資系だと何もしなかったらお金もらえないですから。

 それで本部長まで上り詰めましたよ。高卒で外資系で部長ってありえないって言われるけど、それもやっぱり女房が子どもたちのことを全部やってくれたからできたことで。そういう意味ではバランスの取れた良い関係だったと思うね。

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――『石田さんチ』といえば、給料日に晃さんが千惠子さんに現金を全額渡すシーンが印象的でした。

 日系の会社の時は、出張時のホテル代が1泊1万円出ていたんですよ。3000円のホテルに泊まっても1万円支給されていた。だからその差額分が小遣いだったんだけど、外資系に移ってからはそれがなくなって。泊まった分しか支給されないので、給料から小遣い分抜いて渡してたよ。

 日系の時なんて5万くらいは小遣いがあったのに、外資系に移ってからは1万円。それだと付き合いなんて全然やれないでしょ。だからこっそりとお金を抜いていた。女房に見つかって怒られたけどね。

「親父のこと殺そうと思ったんだよ」と言われた反抗期のこと

――晃さんはもともと大家族を夢見ていたのでしょうか。

 俺が3人兄弟だったから、3人くらい欲しいなって思っていました。でも子どもが生まれるたびに、賑やかになるのが楽しいと思って。それでどんどん増えていったね。作るのは夫婦だけど、産むのは女房だからね。女房が嫌だと言えば、子どもは作らなかったけど、お互いに子どもが好きだったから。

男が生まれたから次は女が欲しいなと思っていたら、次もその次も男で、気づいたら9人の子どもがいましたよ。仕事から帰って、子どもとハグしたり、遊んだり、叱ったりすることが、今振り返ればストレス解消になっていたのかもしれないですね。

 

 次男が中学生の時に、反抗期で言うこと聞かなくて、ぶん殴ったことがあったんだけど、彼は何も言わずにじーっとしていて。後から当時のことを聞いたら、「親父な。あの時、親父のこと殺そうと思ったんだよ」って。「なんで殺さなかったんだよ?」って聞いたら、「親だからだよ」って。そんなエピソードもあったね。今考えたら、怒りすぎだったなって反省していますね。

写真=佐藤亘/文藝春秋

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