2人の出会いは美容学校、同じ寮だった
――そもそも千惠子さんとの出会いはどんなものだったのでしょうか。
晃 美容学校が一緒だったんです。クラスは違かったんだけど、寮が同じで。それでなんとなくお互いの恋愛相談とかをしていました。その時は恋愛関係に発展することはなくて、卒業後は別々の美容室に入社しました。それからずっと会っていなかったんだけど、俺が某有名化粧品会社に転職して、その会社のイベントで再会したんです。
そのあと大阪に転勤になってしまったんだけど、月に1回は会議で東京に来ていたんで、そういう時に会っている中で、だんだんと恋愛関係になりました。当時俺が女房に送った手紙が出てきて「お金いくら持ってる? マンション借りるのにいくらかかるから○円出してくれ」って書いてあってびっくりしましたよ。俺、彼女にそんなこと言ってたのかよって(笑)。
――お2人は結婚するのが早かったですよね。
晃 25歳くらいの時だったね。当時は早めに家庭を持った方が、先々自由に羽ばたけていろんなことができるのかなって、淡い夢を見ていたんです(笑)。若いうちに子育てをすれば40代、50代になった時に落ち着いて自分の時間が取れるんじゃないかと。
まあ夢ってのは幻で、想像していたのとは全く違う人生ですよ。子どもが生まれると金銭的にも大変だし、奇想天外なことがよく起こる。計画したってわからないもんですよ。
外資系の会社は「あなたの家族に給料を払っていません」
――千惠子さんもおっしゃっていましたけど、途中から晃さんが仕事に集中してくれたから上手くいったと。
晃 今振り返ると、子どもができてすぐの頃は、ストレスでぐちゃぐちゃになっていたね。仕事では上司から理不尽なことを言われるし、家に帰ると子どもがギャーギャー騒いでる。会社で小言を言われるとひっそりとダンボールを蹴っていました。
出張が多かったから、ずっと家にいたわけじゃないけど、できることはしていたつもりです。熱が出た子どもを病院に連れて行きながら、公衆電話で代理店の部長さんに「どうもすみません」って謝ったり。俺、なんで病院で謝ってるんだろうって思いましたね。
午前中は会社に行って、午後はPTAに参加することも多々ありました。よくそんな事やっていたなって思うけど、当時はがむしゃらだったので。
でも、6人目の子どもが生まれてから少し経って、某有名化粧品会社から外資系化粧品会社に転職したんです。その時に、人事部長から「ミスター石田。私たちはあなたの家族に給料を払っていません。あなたの成果に給料を払います」って言われて。だったらやってやるよって、それからは仕事に全力を注ぎました。それでどんどん成果を上げていった。その代わりに、「役職あげてくれよ」って。