政府専用機到着の直前に滑走路に出る。北朝鮮側の出迎え要人が金永南最高人民会議議長、金鎰(イルチョル)喆人民武力部長、金永日(ヨンイル)外務省アジア担当次官であることが判明する。最高級の歓迎体制である。
9時過ぎに政府専用機が着陸し、所定の位置に来て止まった。タラップが寄せられ、梅本本部長が機内に消え、小泉総理一行が姿を現した。歴史的瞬間である。田中均アジア大洋州局長、平松賢司北東アジア課長他、懐かしい外務省の面々をバスに案内し、一気に宿舎の百花園に向かう。
宿舎に一行が落ち着くと、田中局長他は即座に北朝鮮の事務方との打ち合わせに向かう。間もなく担当者が何やら朝鮮語で書かれたリストを持ち、控室に戻ってくる。拉致被害者の安否が記されたリストである。数名の職員が生存者の確認やリストの翻訳などに駆り出される。私は朝鮮語ができるということで、北朝鮮側との日程運営の連絡役に専念することになる。
金正日が拉致を認める
首脳会談の1時間前に国防委員会の儀典長が現れ、両首脳の初対面の仕方、首脳会談の段取りにつき説明を受ける。金日成のときから一貫して儀典長を務めてきた冷静沈着な人物である。私たちはこれまで北朝鮮外務省といろいろな打ち合わせをしてきたが、当日になって儀典にせよ警備にせよ、国防委員会関係者と称する人物が現れて仕切り始めた。初めて聞く話もあれば、事前の段取りと違うこともある。これまでの準備は何だったのかと釈然としない。
慌てて最終的な手順を総理一行に説明する。やがて金正日国防委員長が百花園に現れ、小泉総理と対面した。2人の表情は硬い。そして11時から首脳会談が始まった。1回目の会談は予定より短く、12時頃に終わった。
休憩の間も総理他関係者の雰囲気は重い。第2回目の会談は午後2時過ぎから3時半頃まで続く。控室に入ると小泉総理は1人無言のままである。実はその後、さらに非公式の首脳会談が予定されていたが総理は「もう会わなくていい」と指示し、「日朝平壌宣言」の署名へと移った。もちろん乾杯などない。
私たちはその後、慌ただしく百花園を後にして、準備本部とは別の総理控室がある高麗ホテルに向かった。そして小泉総理による記者会見が夕方行われ、すべてが明らかになる。旧知のある同行記者が「日朝平壌宣言」を見てこう呟いた。「なんだ、これは北朝鮮のべた降りじゃないか」。私もまったくもってそうだと思った。
拉致問題について金正日が率直に認め、謝罪したことはこれまでの北朝鮮の頑なな拒絶を思えば一大転換である。しかし5名の生存が確認されたとはいえ、8名が死亡とされたことはあまりにも惨い。日本で朗報を心待ちにしていた家族の心情を思うといたたまれない。
1週間以上にわたる準備と当日の修羅場を経て、午後8時過ぎに政府専用機に乗り込むと、疲れとともに虚しさと侘しさが込み上げてくる。外交に「感傷」は禁物であるが、自分もやはり生身の人間である。この歴史的な訪朝をどう評価すればいいのか、複雑な気持ちになった。