北朝鮮はなぜここまで譲歩したのか
冷静かつ客観的に第三者の立場で見ると、小泉訪朝の成果は大きかったと評価できるし、それが世界の評価でもあると思う。
「日朝平壌宣言」の中にはかなりの部分、日本側の主張が取り入れられている。いわゆる過去の金銭的清算の問題については、北朝鮮側が主張してきた「賠償」や「補償」、「償い」といった概念は言及されていない。日本が韓国との間でたどった方式、すなわち財産・請求権を相互に放棄し、正常化の後に日本側が有償・無償の経済協力を行うという基本的考え方を北朝鮮側が受け入れた。これは日本にとって大きな成果である。
また、核やミサイルの問題について北朝鮮は従来、これは米国と交渉する問題であるとして日本や韓国と協議することを嫌ってきた。この宣言では北朝鮮側に、核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認させ、ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降もさらに延長していく意向を表明させることに成功した。
もちろん紙の上での政治的約束と実行とは別であり、しばしば北朝鮮は文書での約束を履行してきていない。しかし日本の総理と金正日国防委員長が、このような内容を盛り込んだ文書に署名した意義は大きい。
首脳会談の場で金正日が拉致事件について事実を認めて背景を説明し、謝罪して再発防止を約束する。このことは彼の立場からすれば、清水の舞台から飛び降りるような思い切った譲歩であったに違いない。これに加え、金正日国防委員長は不審船の問題についても認め、今後こうしたことは起こらないと述べた。
小泉総理は金正日に対し、六者協議の重要性を説いたとされるが、これが後に六者会談の実現に結びついた可能性があろう。
このような成果は1990年の金丸訪朝以来、何度となく行われて来た政治家の訪朝あるいは政府間の交渉・接触では得られなかったものである。なぜ金正日はここまで譲歩してきたのであろうか。
1つには北朝鮮がブッシュ政権の強硬姿勢を恐れ、米国の友好国である日本をまず取り込み、米国との関係改善の糸口を探るという意図があったと考えられる。あるいは、米国の対テロ戦争の標的となることを避ける意味合いもあったと思われる。米国は前年の10月には9・11を受け、アフガニスタンへの武力行使を開始する。そしてこの年の1月には北朝鮮を「悪の枢軸」の1つとして名指しし、敵意をむき出しにしていた。米国の次の標的はイラクであったが、北朝鮮が深刻な脅威を感じていたとしても不思議ではない。
北朝鮮側から日朝首脳会談への打診は、少なくとも2001年1月の時点であった。2000年に入ると、それまで表舞台に出なかった金正日が中国を訪問したり、プーチン大統領や金大中大統領を平壌に迎えたりして活発な首脳外交を始める。日本との首脳外交も、かかる外交攻勢の一環として位置づけることができる。
また、もちろん経済的な理由もあろう。同じ年の7月から北朝鮮において一連の経済管理改善措置が取られたことから、これと小泉訪朝を結びつける議論もある。しかし一方で、この措置は闇市場の拡大や配給制度の破綻という事態に対処するため、対処療法的に取られた措置に過ぎないという見方もある。そもそも資本とインフラが不足しているという北朝鮮経済の根本的な問題は今に始まったわけでなく、過去何10年と続いている問題である。そういう意味では北朝鮮としては、いつでも日本からの大量の資金を求めていると言える。