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口コミサイトは間違いだらけ…東秋留の“昭和から続く中華料理屋” 「550円のラーメン」は王道の味だった!――2021年BEST5

B中華を探す旅――東秋留「かんた楼」

2022/06/05

genre : ライフ, グルメ

note

まずはビールと餃子を注文!

 カウンターの角に座り、とりあえずビールと餃子を注文。そして、この店のことがずっと気になっていたのだと告げたあと、同じく気になっていた質問をしてみる。「かんた楼」という店名の由来だ。

「生まれが伊那なんですよ、長野県の伊那市。親父の実家がね。そんなところからね、『伊那の勘太郎』をちょっともじって。だから、その下の敷物のところにもあるでしょ(笑)」

 見れば入り口の赤い足拭きマットでは、勘太郎らしき人物が笑っている。「伊那の勘太郎」といえば、昔の映画の主人公だ。なるほど、語源はそこか。てっきり「北風小僧の寒太郎」かと思っていた。

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 だが、店主の北林紳二郎さんは伊那で育ったわけではない。まだ小さいころ家族と一緒に東京に出てきて、吉祥寺で幼少期を過ごしたのだそうだ。

「小学校は吉祥寺だから、武蔵野が長かったですね。まあ、よくも悪くも吉祥寺がいちばん馴染み深いですね。昔はよく成蹊学園の中へ遊びに行って、虫採りなんかをしましたけどね。井の頭公園にアメリカザリガニとか捕りに行ったり。親父に連れられて、ボートにもよく乗ったですけどね。横河電機ってご存じですか? あそこを抜けてね。いまはもうなくなっちゃったのかな、三鷹の駅に向かっていくところにラグビー場とテニスコートがあって。あの辺は遊び場っていうかね」

ラーメン屋を始めたきっかけは?

 意外なことに、吉祥寺に縁の深い方だった。だが、どことなく都会っぽい雰囲気のある方だなと感じていたので、納得できる話でもある。

「小学校時代は吉祥寺にいて、そのあと立川を経て八王子に移ったんだ。八王子はずいぶん長かったですよ。吉祥寺にいたときは大きな家で、母親の親と、それから母親のきょうだいとかね、3世帯ぐらいで生活してましたけどね。だんだん落ちぶれて、こっちに来たと(笑)」

 大学は農獣医学部に進むも、結果的には飲食の道に進むことに。珍しいプロセスではあるが、お話を伺っている限り、そのころの経験ひとつひとつが現在につながっているようにも思える。

 
 

「そもそもね、小学校の同級生の家が吉祥寺でラーメン屋さんをやってたの。そこへ遊びに行って、厨房で働く親父さんを見て、なんとなしに興味を持ってたりなんかしてね。漠然と、食べもの屋にね。で、サラリーマン生活は性分的にちょっとできそうもないんで、大学を卒業してからも飲食をずっと。

 最初は立川の、いまはもうない『第一デパート』のなかの軽食喫茶かな。そこは高校生時代のアルバイトからずっとだから、年数的にはけっこう長いですよね。あとは、お弁当屋さんに行ったり、青梅のラーメン屋さんに行ったり」

 店を持つきっかけになったのは、そんな流れの延長線上で製麺屋に入ったことだった。