『ヒッパレ』DJ赤坂のルーツ、実は『夢がMORI MORI』に
――最初は実況の声だけでしたけど、次第に顔も出すようになって番組に欠かせない存在になったと思っていたら、『夜もヒッパレ一生けんめい』(日本テレビ、94~95年)、『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ、95~02年)にも出演してブレイクされました。やはりこれは『夢がMORI MORI』があってのオファーだったのでしょうか。
赤坂 中野サンプラザで『夢がMORI MORI』のコンサートをやったんですね。ひな壇を作ってもらって、僕だけが皆さんよりも高い段にいて、森口博子ちゃんとかSMAPのみんなを紹介して、曲がかかったらイントロに乗っかったりしていたんです。実はそのステージを『ヒッパレ』の制作スタッフが見に来ていて、僕の存在をひとつのスタイルとしてアリなんじゃないかなと思ってくださったそうです。で、試験的に特番の『芸能人ザッツ宴会テイメント』(日本テレビ、91~94年)にも何度か出してもらってるんですね。
――『ヒッパレ』での赤坂さんスタイルのルーツは、すでに『夢がMORI MORI』にあったと。
赤坂 『夢がMORI MORI』のエンディングでも、博子ちゃんとSMAPの新曲の曲振りをしてましたからね。あともともと『ヒッパレ』では曲紹介をする人たちのなかに、客観的な人間がいたらいいんじゃないかという考えもあって、それが僕になったと。
でっかいコーンマイクとキャップスタイルが生まれた理由
――『THE夜もヒッパレ』は、三宅裕司さん、中山秀征さんが総合司会で、そこに赤坂さん、マルシアさんなどの進行アシスタントの方もいて大所帯でしたよね。
赤坂 大勢の出演者の中でなにか僕を印象付けるアイテムを、ということであのでっかいコーンマイクを持たされたんですよ。「手で持ってもらいましょうよ」とディレクターのひとりが発案してくれたんですけど、俺は「ウソだろ。これ持つのか」って(笑)。あれ、手で持つようなマイクじゃないですから。
――そして赤坂さんといえばキャップですが、『ヒッパレ』でのビビッドな衣装も印象に残ってます。
赤坂 あれは日テレの方が用意してくれたんですけど。後期の放送では、ドン小西(小西良幸)さんのFICCEから提供していただいてました。小西さんから連絡が来て「赤坂に着てもらいたいんだよ」と渡されるんですけど、1着が数百万円すると聞かされて驚きました。
キャップは、単純に僕がくせっ毛だからなんです。整髪料を使って整えるのが面倒で、キャップを被っていたという(笑)。『ヒッパレ』でも初期は被って出てましたね。