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「何だかだまされているような気がする…」補給の途絶えた島に取り残された極限状態の兵士は“終戦”の瞬間に何を思ったか

『松本連隊の最後』より #2

2022/05/09

genre : ライフ, 歴史, 社会

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 たとえばある兵隊はこう言った。

「敗戦をきいた時ですか……さあよく覚えていないナ、てんぷらをあげた日は確かお盆ですが、日本の負けたことをきいたのはもっと後だったじゃないですか?――いやそうじゃあなかったかな、てんぷらをあげている時にだれかそんなことを言った者があったナ……」

 いかにてんぷらの印象が強烈だったかよくわかる。

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 もう一つの疑問は、林田連隊長が「日本は負けたよ」と、長沢少佐に言った言葉ははたしてどこから出た言葉かということである。

 天皇の放送は正午である。一大隊の慰霊祭は十時からである。それを前に大本営から内命があったものか、いやもしあったとしても連隊長はまだその日師団司令部に行っていないはず、もちろん行かなくてもきくことは出来るが、こんな重大なことを電話で知らせることはない――とするならば連隊長はこの時正式な命令系統からきいているはずはない。おそらく外電や海軍方面から伝わる情報からではなかったろうか……。

 師団長からの正式の話は当然正午の天皇放送以後であろう。これに続いて大本営からは続けざまにいくつかの命令が出ているはずである。

 各連隊長が集合したのはそれ以後とみるのが妥当である。

 もう一つ当日の奇妙な現象は、連隊長が「日本は負けた」と言った時、長沢少佐ははじめてきいてびっくりしたというが、かたわらにいた大隊副官の北沢粂治中尉、松沢正直中尉らはとうに知っていた。兵隊たちもあちこちでボソボソ話し合っておぼろげには知っていた。知らない者は大隊長ばかりという奇妙な現象である。よくあることであるが、責任ある人にはだれも無責任なうわさをうっかり言えなかったということかも知れない。

 長沢少佐が日本降服のうわさをかんかんに怒ったという話をきかしてくれた者があるが、しかし本人は否定した。いずれにしても15日の午後には、終戦の報せはもろもろの喜びと不安を乗せたままたちまち全島に広がっていった。

「連隊長殿、えらいことになりましたナ」

 春島の松本連隊本部から、将校集合の命令が伝えられたのは16日午後である。

 天皇放送の重大ニュースと、大本営命令が下ったのは15日正午であるが、この日は夏島ララの師団司令部はまさかと思ったうわさが事実となって、この重大放送にとまどい、どう処理していいものか迷いに迷い、うっかりこれが広がったら、それこそ全軍大混乱におちいることは火をみるよりあきらかであった。三十一軍司令官麦倉中将の一番おそれたものもおそらくそれだったであろう。すでに戦局の帰結ははっきりしている。あとはいかにして幾万の部下将兵を混乱から護り無事に故国へかえすか? 連隊長を集めて話したのももちろんそれだった。

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