林田連隊長が春島に帰ったのは16日の夜ふけである。
「連隊長殿、えらいことになりましたナ」
「うん!」
草間副官と二人は目と目でそう言っただけで師団司令部を出てからまだひと言も発していなかった。ただ黙々と歩いてダイハツに乗り移り、舟が動き出してしばらくたってからはじめて二人はしんみりと語った。来るべきものがついに来たという感じであった。
連隊長は何を言っても、「うん、うん」と答えるだけだった。彼の頭の中には、いまいくつかの想念がうず巻いていた。敗戦のくやしさというより「日本もこれで終わりになるのではないか」という、いまだ味わったこともない不安だった。立っている地盤が音を立ててくずれていく姿を想像していた。
茫然自失涙も出なかった
しかし現実はそんな余裕は今の連隊長にはなかった。草間副官が先ほどからいらいらしているのもそれである。
いかにしてこれを部下将兵に伝えるか? いや伝えることはやさしい。それより、もり上げてきた戦意をどうおさめるか? ということである。――そんなバカなことが出来るものか――と打ち消す。人間は機関車のように、スイッチ一つで前進も後進も出来るほど、便利調法には出来ていない。その機関車だって今まで走ってきた惰性というものはある。
こんなことが無事にすむはずはない。一つまちがえばすぐ同志討ちの内乱状態にならないとは保証しがたい。
そのおそろしい現実は刻々と近づきつつあった。
しかし、ダイハツが春島の桟橋に横づけになり、一歩足が玄武岩の上に立った時、すでにもとの林田連隊長にもどっていた。
「すぐ連隊本部に将校集合!」
10坪ほどのニッパヤシのバラックに床板をはった連隊本部の前に、数十名の将校が集合するのに時間はかからなかった。
「ただいま大本営から重大なる命令を受けてきた。どうか諸君はこの命令を静かにきいてもらいたい」
林田大佐はいまだかつてない沈痛なおももちで言った。
「ただいまから伝える言葉は、昨日おそれ多くも天皇陛下から直接全国民に伝えられたご命令であり、大本営からの命令もこれと同じである。われわれの戦争は終わったのである……」
連隊長はここまで一気に言って、ハンカチで涙をふいてじっとたえていた。はじめロシアへの宣戦布告とばかり思いこんでいた将校連も、ことの意外さに言葉もなく、まるでハトが豆鉄砲をくったように茫然自失、涙も出なかった。