韓国の首都・ソウルには、貧困層が住む最底辺の住宅「チョッパン」というものが存在する。そこには、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』でも描かれた韓国社会の格差や貧困の実態が如実に現れているのだ。

 ここでは、韓国最底辺住宅街の人々に迫った韓国日報の記者、イ・ヘミ氏の著書『搾取都市、ソウル ――韓国最底辺住宅街の人びと』(伊東順子 訳、筑摩書房)から一部を抜粋。“住居貧困”に陥るソウルの若者の現実を紹介する。(全3回の1回目/2回目に続く

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逆行する、若者の住居貧困

 ロシアの文豪トルストイの作品「人にはどれだけの土地がいるか」は、どれだけ欲張ってもその人に必要な土地は、埋葬される時の「6フィート(約182センチ)」だと結論づけている。

「若者には何坪の空間が必要か」

 ソウル市内の駅周辺にある青年住宅(編集部注:若者向けの公共住宅。主に20代・30代の単身者、新婚夫婦などが対象で、「2030賃貸住宅」ともいわれる。以下、(※)内はすべて編集部注)が社会に投げかけた質問だ。2019年9月「ソウル市駅周辺青年住宅」の入居者募集案内が発表されると、SNSにはすぐさま「5坪論争」で甲論乙駁となった。大学生と単身の若者の申し込みを5坪(16平方メートル)型のみに限定しようとしたところ、「若者は鶏のケージで暮らせというのか」という理想論と、「地方から出てくる若者には5坪だろうと安さこそが重要」という現実論が真っ向から対立した。

 この世での暮らしが文学的なロマンや教訓に満ちるのもいいが、このストレートな問いかけは隠喩や比喩などではなく、現実の若者に向かって投げかけられた社会的テーマだった。少しでも良い社会であろうとするなら、若者たちに1人が横になれるだけのスペースがあればいいなどと言ってはいけない。彼らは私たちの周辺で暮らす生きた存在であり、より良い暮らしを望む主体であるからだ。20代を「住居難民」として過ごしたと自認する者として、「5坪」をテーマに大論争が繰り広げられるのを見るのは、悲しく切ないものだった。

 住む家が探せなかった時にはLHの分譲賃貸住宅に、同じような境遇の友だち2人とシェアハウス形式で暮らすなど、とにかく福祉の恩恵を求めてさまよった記憶ばかりだ。それを思うと、たとえ「5坪」といえども、公共住宅がもたらす住居の安定性は非常に価値あるものだといえる。ただそれと同時に、公的機関が提供する単身者の最低住居基準が14平方メートル(4.2坪)をわずかに超えた5坪というのには、批判の余地があるのも事実だ。

 若者の住居権のための運動団体〈なめくじユニオン〉のチェ・ジヒ委員長は、「公的機関が5坪の賃貸住宅を作ったことで、賃貸業者などに対しても、より小さなワンルームでいいのだという口実を与えることになった」と批判した。しかし、それと同時に若者を駅周辺に住まわすという点では意味のあることだと見ていた。多くの社会的インフラと有形無形の資源、機会などに恵まれた都心部はこれまで、「お金がなければ郊外に住め」と言わんばかりに、貧者の進入を許さなかったのである。