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2022/04/29

genre : エンタメ, 映画

 細かく見ると第二幕後半の前半は大きく2つのエピソードでできている。

 1つ目は、キキがトンボにパーティーに誘われるエピソード。その後、奥様と呼ばれる老婦人の依頼でニシンのパイを運ぶが、雨に降られ、しかも届けた奥様の孫娘はそのパイに対して全くうれしくなさそうな態度をとる。結局、濡れネズミのキキは、パーティーにも間に合わなくなってしまう。

©1989 角野栄子・Studio Ghibli・N

 2つ目は、雨のためひいた風邪が治ったキキは、トンボと会うことになり、人力飛行機のエンジンになる自転車で海辺へ向かう。距離が近づいたかに見えた2人だが、トンボが女友達と親しげに会話する様子をみて、キキは不機嫌になりトンボをおいて一人で帰宅してしまう。

苦労して荷物を届けても感謝されるとは限らない。“自分に唯一出来ること”は“無意味”なのか…

 この2つのエピソードを経て、キキはホウキで飛ぶことができなくなってしまう。どちらもトンボへの好意が底にあるエピソードではあるが、この2つは恋愛のエピソードというより、「疎外感」を描いたエピソードだと考えたほうがわかりやすい。

 苦労して荷物を届けても感謝されるとは限らない。自分の仕事とはいったいなんなのか。自分の唯一できることが、意味のないことだったら……。という自問自答がキキの中に疎外感を生む。

 その次に描かれるのは、さっきまで親しげに話していたトンボが、仲間のところに行ってしまったことに対する寂しさ。それはトンボに対する独占欲もあるだろうが、それよりも自分が世間から疎外されていた意味合いのほうが大きいだろう。

©1989 角野栄子・Studio Ghibli・N

 これはその後に控えている展開が、キキの(自分でも把握できない)恋心に焦点をあてたものでなく、ジジと会話ができなくなることと母がくれたホウキが折れてしまうこと、という「それまで自分と一緒にいてくれた存在」がいなくなってしまう、というエピソードであることからもわかる。

自分が誰からも必要とされていないのだという恐怖

 まだ地盤の固まっていない若者の一人暮らしで怖いのは「疎外感」だ。自分が世間で誰からも必要とされていないのだという恐怖。この恐怖に飲み込まれずになんとか踏みこたえられるようになること。そこが本作の描こうとした「13歳なりの通過儀礼」ではなかっただろうか。

 落ち込んだキキは、映画の前半に出会った森に住む絵描きのウルスラ(ただし作中では名前は出てこない)に誘われ、彼女の小屋で一晩を過ごす。ウルスラは、そこで人生の少しだけ先輩として、自分が行き詰まった時にどう対処してきたかを静かに話す。ウルスラの声はキキ役の高山みなみがダブルキャストで演じている。つまりウルスラには、キキが精神的に成長するであろう姿が重ね合わせられていると考えられる。

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