「リングと客席には距離があるように見えて実は一つにつながっている。政治も、まさにそういうものでなければならないと思うんです。やっぱり人々に期待される、人々を感動させられる政治家像が必要とされてる時代じゃないか」(『週刊現代』1989年8月12日号)
当選前からダルマに「両目」が入れてあった
1989年、アントニオ猪木が立ち上げた、『スポーツ平和党』事務所内でのことである。その選挙用必勝ダルマは、異質だった。
最初から、両目が入れてあったのである。まだ、投票前だというのに。もっと言うなら、公示前ですらあった。
プロレスラーの選挙出馬時におけるトラブルは多い。
ミスター・ポーゴが伊勢崎市議選に出馬した際のポスターは、本名の関川哲夫の読み仮名「せきがわてつお」が「せきかわてつお」となっていたし、髙田延彦が『さわやか新党』で出馬する際は、事前に、トヨタとのCM契約、及び撮影をしていたことが判明。当然、CMの方はご破算となり、違約金を含んだ騒動となった。
猪木は、プロレスラーによる政界進出のパイオニアであるのだが、実はこのスポーツ平和党での出馬の前年、衆議院選挙に出る話があったのである。それも、政党は自民党。
関係者によると、参議院の比例代表では上位を用意出来ないが、衆議院なら東京9区からの出馬を応援するという話だった。当時の衆議院東京9区は、板橋区や北区だ。
選挙区を視察した猪木は、「自分の言いたいことを訴える場所は、ここだけに留まらない」と判断。自民党からの出馬は、立ち消えとなった。
だから89年は満を持しての、自らの政党での出馬だったのである。先のダルマ、ひょっとして、両目が印刷された縁起物かと思いきや、そうではない。なんと、猪木自身が最初から入れておくよう、スタッフに指示したのだという。行いをそのまま受け取れば、「勝って当然」「勝ちはもらったようなもの」といったところだろうか。
「世の中が乱れた時こそ、俺の出番」
猪木が出馬理由をこう語ったように、確かにこの1989年は乱世の様相で、参議院議員選挙の比例区には史上最多の40の政党が候補者を立てる“ミニ政党ブーム”だった。
この年4月からの初の消費税導入、そして、宇野宗佑首相の就任3日目での女性スキャンダル発覚。既述の通り、前年には政治家への贈賄で政界を大きく揺るがしたリクルート事件などなど。
プロレスになぞらえれば、後年の橋本真也の名言宜しく、猪木出馬の「時は来た!」感があったのである。だが、その両目のダルマがささいな驕りであったと思えるほど、スポーツ平和党の現実の選挙活動自体は乱れ、難航した。