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アントニオ猪木《日本初のプロレスラー議員》が握手した有権者は90万人……それでも“政界進出”に苦戦した理由とは

『アントニオ猪木』より #1

2022/05/03
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いきなりの公職選挙法違反

 選挙活動が幕開けとなる公示日は7月5日。その前の、5月25日、猪木は大阪城ホール大会のメインを張っていた。

 ここでソ連の柔道家、ショータ・チョチョシビリを撃破。同選手とは1ヵ月前、業界初の東京ドーム大会のメインで対戦しているが、この時は猪木にとって異種格闘技戦初の黒星を喫していた。いわば念願のリベンジを果たしたわけだが、この勝利の直後、控室で秘書のような役割をしていた実兄の猪木快守に告げた。

「天の声だ。出馬を考えてみる」

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 とは言え、公示まで1ヵ月半しかないし、当の猪木は多忙の中にある。6月4日には、大晦日に予定されているソ連での興行の折衝のため、同地に飛んでしまった。10日に帰国した猪木は驚く。既に一部紙誌で、出馬がスッパ抜かれていたのだ。急いで15日に会見、20日には事務所開き。

 最初に作った政党用のポスターは、イノシシと巨木をアニメタッチで可愛らしくデザインしたものだったが、公職選挙法に引っかかり、NG。この表現ですら、「猪木の個人名を彷彿とさせる」というのである。極めて想像力が豊かでないと、その想起は難しいと思うのだが……。

 公示日以降も、苦杯の連続だった。

 猪木が有名人ゆえに、ここぞとばかりに自分の贔屓の場所に連れて行きたがる後援者が後を絶たなかったのだ。肝心なのは、より多くの人に自分の意見を伝えることなのにである。選挙活動中の7月13日、静岡県伊東沖で海底火山が噴火する被害が発生すると、さっそく伊東市役所に出向き、100万円の寄付金を手渡す。なんとも“らしい”行動力を見せたが、この行為自体が公職選挙法違反なのだった。その日の夜、気づいた同市役所の職員が、東京にあるスポーツ平和党事務所まで寄付金を返しに来た。

 また、公示前の出来事ではあるが『スポーツ愛好党』なる政党が出るという情報もあり、一時は、政党名を『スポーツ党』に簡略化する案も出た。この際猪木が、「スポーツを通じて平和を呼び起こすことこそ、俺の夢であり使命。この名前で負けるなら本望」としたのは語り草となっている。そうまでして守った党名にもかかわらず、実は出馬前、ある政治家に、猪木はこう言われていた。

「おい、猪木! 政治とスポーツは別なんだよ!」

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