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角田美代子の自死で幕を閉じた「尼崎連続変死事件」 監禁現場から逃走した37歳男性が行方不明になるまで

角田美代子の自死で幕を閉じた「尼崎連続変死事件」 監禁現場から逃走した37歳男性が行方不明になるまで

「尼崎連続変死事件」の謎 #1

2022/05/05

genre : ニュース, 社会

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 2011年11月に監禁していた女性への傷害容疑で、主犯の角田美代子が逮捕されたことが、死者・行方不明者が10名以上にのぼる「尼崎連続変死事件」の端緒となった。

 小さな繋がりをきっかけに相手の家庭に乗り込み、美代子による暴力を伴った巧みな心理操作で、家族内での不信感を煽って分断。マインドコントロールともいえる状況下で、互いに密告・虐待を行うようになった結果、次々と死者が出たという特異な事件である。

2名の行方不明者の消息が判明したとの情報はない

 12年12月12日に美代子は兵庫県警本部内の留置場で自殺し(死亡時64)、その後に開かれた裁判では、彼女が作り上げた「角田ファミリー」のうち7名が殺人などの罪で裁かれ、無期懲役から懲役15年までの判決を受け、刑が確定している。そのため現在は、全員が服役中だ。

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角田美代子

 この事件を捜査していた兵庫、香川、沖縄各県警の合同捜査本部は、14年3月13日に解散しており、それをもって捜査は終結した。

 しかし、その際に今後も行方を捜すとされた、2名の行方不明者の消息が判明したとの情報はない。

 この2名とは、14年2月17日に兵庫県警により公開手配された、森本賢吾さん(手配時37)と桐原信枝さん(同61)である。

 両者はそれぞれ「角田ファミリー」による監禁生活を送っていたが、賢吾さんは00年1月頃(手配内容。著者の調べでは1999年12月頃)、信枝さんは03年10月頃を最後に、行方がわからなくなったとされ、それぞれの親族が、12年6月に尼崎東署に行方不明届を出している。

 私はかつて、この「尼崎連続変死事件」について、『新版 家族喰い -尼崎連続変死事件の真相-』(文春文庫)という本を執筆した。その際に行った取材と、今回新たに加えた関係者の証言によって、彼らがどのような状況に置かれ、姿を消したのかということを、改めて検証していきたい。

美代子の伯母の葬儀がすべてのはじまり

 賢吾さんは、(角田)美代子による最初の家族乗っ取りの標的となった、尼崎市の東条家(仮名)の親族の一人である。

 まずその経緯を説明すると、すべては1998年3月に角田小春さん(仮名)という女性の葬儀が営まれたことに始まる。

 小春さんはその苗字のとおり、美代子の母の兄である角田秀春さん(仮名)の妻だった。つまり美代子にとっては伯母である。

 一方で、小春さんの実の妹である東条光江さん(仮名)は、賢吾さんの父方の祖母。ということで、美代子と賢吾さんは遠い姻戚関係にあたる。

 光江さんには4人の息子がいて、賢吾さんの父である四郎さん(仮名)は4男。四郎さんは京都府内で鉄工所を営み、妻の久美さん(仮名)と長男の賢吾さん、そして次男の徹也と暮らしていた。ちなみにこの徹也は、後に美代子と養子縁組をして、戸籍上の長男である角田健太郎となる。懲役21年が確定した健太郎は、現在刑務所に服役中の身だ。

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