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暴力団との親しい間柄をちらつかせて

 そこで美代子は、姑への不満を抱えていた妻たちを取り込んだ。さらに東条家の兄弟とその妻たちを尼崎市内に住まわせ、光江さんへの虐待を命じている。宏一郎さんが明かす。

「光江さんをずっと立たせて、座ると息子が暴力を振るってました。あと、気がつくと四郎が自分の車を出して、美代子の運転手をしてたんです。あとでわかったことやけど、四郎は自分の会社の運転資金を美代子に頼っとったんですわ」

 美代子は四郎さんの運転する車に乗る際に、暴力団組長の妻に会いに行くと説明したり、広域暴力団の×代目組長との親しい間柄について話す。それを聞いた東条家の面々は、ますます美代子に逆らえなくなっていった。

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 実際には美代子の虚言だったにもかかわらず、当時はそれを信じてしまったと宏一郎さんは語る。だが、そんなある日のこと……。

「せやけど四郎が突然、自分の車に乗ってひとりで逃げ出してしまったんですわ。そのとばっちりは残された四子に向かいました。後日、高知の四子の実家に美代子や三枝子が、一郎や二郎らを連れてカネを返せと乗り込み、数百万円を親族に払わせています」

角田家のマンション内部の様子(競売資料より)

子供たちを手なずけ、虐待をエスカレートさせる

 やがて美代子は東条兄弟夫婦に対し、子供たちを呼び寄せるように告げ、子供たちのみを自分の住むマンションに、親たちを新たに借りたアパートに住まわせたのだった。

「そこで子供たちを手なずけとるんですわ。それぞれの親がいかにダメな存在かを吹き込みながら、子供らを甘やかして、自分に懐かせとるんです。美代子は子供らのなかでボス格の存在を作っとったんですが、それが(のちに行方不明になった)賢吾でした。賢吾は当時22~23歳。美代子といちばん喋りよったし、(四郎さんの後の)二郎に代わって美代子の運転手もしよりました」

 手配書によれば、賢吾さんの身長は約170cmで、右目の下にほくろがあるのが特徴とされるが、宏一郎さんは語る。

「仕事は四郎のところの鉄工所を手伝いよったんかなあ。割とやんちゃなタイプで、太ってはないけど、身体はがっしりしとったね」

 アパートでは、美代子に命じられた、実の息子たちによる光江さんへの虐待がエスカレートし、周辺を慮って兵庫県西宮市にある高層団地へと移転した。なお、光江さんは後にこの団地で死亡している。

「生活費を稼ぐために全員が働きに出されとったんですが、なかには市民祭りのテキヤの屋台の仕事もあったんですね。それで私が自分の仕事ばかりでテキヤに協力的やないいうことで、美代子に指示された賢吾に殴られたことがあるんですわ。美代子が賢吾にボクシングを習わしとってね、『賢吾、殴ったれ』ということでもろにパンチが入って、顎を骨折しました。病院に入院し、腫れが引くまでに2、3週間かかりました」