監禁状態の解消後、逃亡した四子さんは仲居の仕事を
「実刑になるように窃盗を何回か繰り返しているときに、まず二郎が逃げました。続いて四子と賢吾が姿を消したんです。美代子は賢吾が逃げた後に、残っていた一郎に偽の書類を提出させ、賢吾を彼の養子にしていました」
そうすることによって、一郎さんに住民票の変化を定期的に確認させ、賢吾さんの逃亡先を捜させようとしていたのだ。
その後、宏一郎さんも美代子の下から逃亡するのだが、賢吾さんの後釜として、美代子の運転手にされた一郎さんの長男が、99年12月に自殺したことを知ったことで、00年1月に警察に駆け込み、これまでの窃盗事件を自白。美代子以下、窃盗に関わった人物が同2月に逮捕されたことで、東条家の監禁状態は解消されたのだった。
賢吾さんと一緒に逃亡した四子さんは、それから近畿地方にある旅館で仲居の仕事に就き、住み込みで働いている。じつは宏一郎さんは美代子が自殺してしばらく経った13年に、四子さんと会っていた。
「14年ぶりですかね。それこそもう追われる心配がなくなって、安心した感じでしたわ。聞いたら、賢吾とは××(旅館がある地域)まで一緒に逃げてきたそうです。そんで四子がいまの旅館の仕事が決まったところで、賢吾は『じゃあ俺は行くわ』と言って、そこで別れたそうで、それきりやと話してました」
22年5月1日の時点で、賢吾さんがどこかで生活をしていれば45歳である。当然ながら、結婚や引っ越しなどによって住民票に動きがあれば、その動向は確認できるはずだ。だが残念ながら、そうした話はいまのところ入っていない。
最新の情報について兵庫県警察本部に問い合わせたところ、以下の答えが返ってきた。
「行方不明事案全般について、届出人のプライバシーの問題もあるので、公開していること以外につきましては、回答は差し控えさせていただきます」