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お母さん、自分の甘さを見透かされたような気持ちになりました

 バックネット裏後方の内野2階席からは、まっすぐに昇太が見えました。2022年最初のボールを堂林選手にレフトへ運ばれ、上本選手の内野安打、昇太のグラブを一瞬かすめた西川選手のセンターへのタイムリー。お母さんにできることはタオルを握りしめることくらいでした。嫌でも蘇ってくる、2016年CSファイナルステージ第4戦の記憶。初回6失点した昇太の、茫然自失としたあの表情。

 あれから6年。まだ一つもアウトを取れていないけど、あの時の昇太とは全く違うピッチャーがそこにいたのです。緊張もするでしょう、堅くもなるでしょう。でもあの日マウンドにいたのは、なかなか一つになれない心と体を、経験と意地で必死にコントロールして、最初のアウトを取りに行こうとする昇太。そのアウトを27個重ねて、その時に1点でも多く取っていればチームは勝つ、誰もが知っていて誰も知らない、その事実を知っている昇太。初回に3点もらった。絶体絶命ノーアウト満塁で今犠牲フライを打たれても、最後負けなければいい。

今永昇太

 お母さん正直に言います。ここに来るまでは「勝っても負けてもいい、今永くんの今年最初の登板が見られたらそれでいい」なんて、熱心なファンのようで、その実広島までやってきた労力に保険をかけるようないやらしい言い訳を考えてました。でもそうじゃなかった。なかなか攻撃を終わらせてくれないカープが2アウト1、3塁としつこくチャンスを広げた時、昇太が1塁走者へ放った牽制。その時、まるで分身の術のように昇太の体は二つに分かれ、ワン昇太はバッターを、アナザー昇太は1塁を向いたのです。逆をつかれた1塁走者は戻ることができずタッチアウト。

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 その鋭い牽制は「負けなければいい」と同時に「勝たなきゃ意味ないよ」と言っているようでした。やらなきゃ意味ないよ、勝たなきゃ意味ない。プロ野球をやる限りは、勝たなきゃ意味ない。少し苦々しい顔でベンチに戻っていく昇太に、お母さん、自分の甘さを見透かされたような気持ちになりました。握りしめすぎたタオルはふやふやになっていました。

 原稿はもうすぐ終わりそうだけど、雨はまだ降り続いています。あの日、延長戦の末チームは勝利。点は取られても、なんとか勝ち越されないように、地を這うように粘って粘って投げ続けた昇太がいました。土曜日と日曜日のことはよく憶えていません。ビールがハマスタより50円安くてうれしかったです。あとがんすが美味しかったでがんす。でも昇太、お母さん、一つ分かったことがあります。エースというのは、調子がよかろうと悪かろうと、アウトを一つ一つ重ねていける人。「勝たなきゃ意味ない」ってことを、背中でチームメイトに伝えられる人。そしてベイスターズのエースは今永昇太しかいない、ということ。昇太の2022年はまだ始まったばかり、エース今永昇太もまだ始まったばかり、ということ。

 とどかぬ願いと知りながら、お母さんは今年もハマスタの岸壁(ウィング席)で昇太を待ってます。

編集部注:ライターの西澤千央さんは今永投手のお母さんではありません。

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