翌4月には、スウェーデンのカール16世グスタフ国王がテレビでスピーチした。すべての人々がリスクを負って行動していることに敬意を表し、「最後には光が闇に勝利し、私たちは再び希望を感じることができるでしょう」と、コロナ克服への「確信」を伝えた。同時期に出されたスペインのフェリペ6世国王のメッセージも、コロナ禍を「打ち勝ち、克服するはずの危機」と表現し、やはり国王自身の「確信」を表明している。
英国のエリザベス女王のスピーチでは、「we will」という言い方が立て続けに使われた。よりよい日々が返ってくる。また友だちと一緒にいられるようになる。また家族といられるようになる。またみんなが会える。これらの文にすべて「will」という助動詞が使われたのは、「未来」を確定的に宣言すると同時に、女王自身の持つ「意思」や「願い」を含ませたからなのだろう。
天皇が「語れる言葉」に制約が多いワケ
日本の天皇が「語れる言葉」は、海外王室に比してもともと制約が多いと思う。
それはなぜなのかと言われれば、天皇の地位と権能に関する憲法の規定だけでな
く、おそらく日本が歩んだ戦争の歴史に行き着くのではないか。
コロナに関する国王たちのメッセージを見ると、政府の施策を露骨に非難したり、後押ししたり、国民生活に直接我慢を求めていたりするものも多い。こうした行為を日本の天皇はすることができない。また、天皇の言葉からは、国民に対する「鼓舞」の要素も厳密に排除される。その理由が戦争への反省にあることは、「コロナ」という災厄を「戦争」と置き換えてみるだけで容易に想像できるだろう。
そんな制約の中で、コロナ禍に苦しむ国民に心からの励ましを伝えるにはどうしたらいいのか。政治的権能を発動しない範囲内で呼びかけるにはどんな表現が可能なのか。懸命に考えた結果が、「信じる」という言葉なのではないか。この言葉には単なる「願う」よりも、はるかに強い「国民との一体感」があり、「天皇が事態の好転を信じていてくれる」という宣言は、国民にとって大きな励ましになるように思う。天皇の権能に関する憲法の規定に抵触するとも思えない。陛下がこの「新しい言葉」を今後も使うのかどうか、注視したいと考えている。
大木 賢一
1967年、東京都生まれ。1990年、早稲田大学第一文学部日本史学科卒業。共同通信社入社。鳥取支局、秋田支局などに勤務し、大阪府警と警視庁で捜査1課担当。2006年から2008年まで社会部宮内庁担当。大阪支社、東京支社、仙台支社を経て2016年11月から本社社会部編集委員。著書に『皇室番 黒革の手帖』(2018年、宝島社新書)、共著に『昭和天皇 最後の侍従日記』(2019年、文春新書)、『令和の胎動 天皇代替わり報道の記録』(2020年、共同通信社)。
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