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 普段は記者クラブの畳に寝転がっていた西山は、福島原発を早くから取材し、一冊の本にまとめていた(『原発症候群』批評社)。その西山が、「10代の教祖」として社会現象化している尾崎豊を取材しているという話を、別の先輩記者から聞いた。

 残念ながらその経緯を本人から聴き出す前に、西山は病気で帰らぬ人となった。

沢木耕太郎との「歴史的対談」

 尾崎をめぐる人のつながりは、思わぬところで見つかる。

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 西山と同じ大学で同期だったというノンフィクションライター沢木耕太郎が、尾崎豊と対談している(「月刊カドカワ」1991年第2号)。

 1989(平成元)年、尾崎に長男裕哉(ひろや)が生まれた。翌年に5枚目アルバム「誕生」がリリースされ、対談は行われた。

 沢木は、7歳の娘がアルバムの一曲「COOKIE」(作詞・作曲 尾崎豊)の一節♪おいらのためにクッキーを焼いてくれ♪を一回聴いただけで覚えて歌ったエピソードを紹介し、「言葉が溢(あふ)れてるけれども、言葉がしっかり伝わるよね。娘が歌詞を間違えないで歌えたのもそのせい」と称賛した。

 一方で、対談4年前のニューヨークへの渡米後、所属音楽事務所の移転問題でごたごたし、覚醒剤取締法違反で逮捕後に出た4枚目アルバム「街路樹」については、「作るのが厳しかったんじゃないかな」とストレートにぶつけた。

両者に共通しているテーマ

 これに対し尾崎が「NYにある退廃的なもの──ドラッグにしてもそうだし、犯罪にしてもそうだけど──そういうものに対応していく自分を歌いたかった」「あの時点で僕は何かにつまずいているんですよ。それに気づきながら歌っていることに意味がある」と答えたのが印象に残る。

 対談の後半で、話題は歌い手と聴衆の関係に及んだ。尾崎はこういった。

「僕が幸せになるには他人も幸せでなくてはならない」

 これを読んで即座に浮かんだのが、宮沢賢治の言葉だ。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

 両者に共通しているテーマは明らかだろう。個人と集団(共同体)との関係。宮沢賢治を敬愛した評論家吉本隆明の『共同幻想論』は、まさにそこを理論化して結実した著作だ。

 ここでも尾崎とのつながりは途絶えない。尾崎と吉本を結んだのが音楽プロデューサーの須藤晃だった。

(敬称略)

小出将則:1961年愛知県生まれ。84年早稲田大法学部卒、中日新聞入社。おもに東京社会部で警察、検察、遊軍、宮内庁などを歴任し、田中角栄元首相極秘退院や平成天皇即位お言葉全文などをスクープ。91年退社、翌年信州大医学部入学。卒後は愛知県内の精神科、心療内科に勤務し、2014年出身地で開業。精神科専門医、精神保健指定医。労働衛生コンサルタントの資格を持ち、企業や官公庁の産業医を勤める。専門分野は女性心身医学、成人の発達障害。漢方治療にも長年携わってきた。