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「また、あなたに、ふふんと笑われますと、つらいので」

太宰治「きりぎりす」(1940年 青空文庫にも収録

「おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。私にも、いけない所が、あるのかも知れません。けれども、私は、私のどこが、いけないのか、わからないの」と妻は語り出します。ある会社の社長令嬢だった「私」は、周囲の反対を押し切って無名の画家と結婚しました。しかし夫は、有名になるに従って変わっていく。それが我慢ならないのだと妻は不満を述べ立てます。

 妻の錯乱した語りは、ややエキセントリックにも思え、辟易する読者もいるかもしれません。しかし、この小説をよく読んでみれば、妻が「また、あなたに、ふふんと笑われますと、つらいので」とか、「いつもの調子で、お笑いになると」などと繰り返していることに気づくでしょう。

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〈私は、全身震へながら、お部屋で編物ばかりしていました〉 ©iStock.com

片方が有名になることで、片方の夢が潰えてしまった

 つまり、妻はこれまで何度も夫に自身の不満を訴えようとしていたのに、夫のほうは妻の言葉をまともに聞こうとしていないのです。と言うか、妻が何を求めているのか、どうして欲しいと思っているのか、この夫は想像しようとさえしていないのでしょう。有名な画家となって、立派な家に住み、高価な品物を買うこともできる。それでいったい、何の不満があるのか? 夫の考えというのは、そのようなものだと思われます。

 夫に聞き届けられることのない言葉は自閉化し、妻の語りをますますエキセントリックに見せています。しかし、「自身が何だか飼い猫のように思われ」ると不満を述べるこの妻が抱えている問題とは、現在の言葉で言えば、女性の自己実現というべきものではなかったでしょうか。この当時、女性が社会で活躍できる場は、それほど多くはありませんでした。そんな彼女が目をつけたのが、無名の貧乏画家を自身の才気で支える、という〈仕事〉だったのでしょう。しかし、そんな彼女の夢は、夫が有名になることによって無残にも散ってしまったのでありました。

きりぎりす (新潮文庫)

太宰 治(著)

新潮社
1974年10月2日 発売

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