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「わたし」を主語にして話す、というのも複数のテキストでポイントにあげられている。

「(あなたは)いつまで飲んでるんだ」などと、家族は意識せずに「あなた」を主語にしてものを言っている。この話法は「上から目線」になりがちだ。

 一方、「わたし」を主語にすれば、自分の感情や気持ちを伝えることができる。「飲み過ぎて体を壊すんじゃないかと、わたしは心配だ」。この方が相手も受け入れやすい。

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 そう心がけてみた。妻に伝わっているという実感が持てるときもあった。しかし、続かない。気がつくと感情を抑えられなくなり、「いい加減にしろ!」と怒鳴っていた。

 本人がしらふのときに自助グループなどを勧める、というのも鉄則だ。だが、朝昼晩と飲み続け、しらふの時間がなかった。

この写真はイメージです ©iStock.com

アルコール依存症という“モンスター”と家族が戦うためには

 まず家族が変わることで本人に変化がもたらされる。多くのテキストでは、そんな理想的な実例が紹介されている。それは希望になったが、「わかる」ことと「できる」ことは別物だということも思い知らされた。

 家族が冷静さを維持するのは難しい。職業としての支援者と違って、24時間、その立場を降りられないのだ。寝ていればたたき起こされ、車を運転していても助手席から暴言を吐かれる。

 それでも、家族としてやるべきこと、やってはならないことを学んだことは、本人を支えるための「基礎体力」になった。それがなければ暗闇のなか、武器を持たずにモンスターと戦うことになり、倒れていただろう。念のためだが、モンスターは本人でなく病気だ。

 教わった通りにできるかどうかは別にして、家族教室や家族の自助グループに通い続けること自体がエネルギーになる。仲間のなかで元気を取り戻すことができる。

 私が倒れずにすんだ理由としてもう1つ、わが家が密室でなくなっていたことも大きかった。2015年4~7月にとった介護休業とそれに続く妻の長期入院の間、様々な公的サービスを準備していた。それによって私が仕事に出ている間、ヘルパーや訪問看護師ら誰かが必ず家に来てくれる。すべてを1人で抱え込まなくてよくなった。

 2018年9月から、私は読者投稿欄「声」の編集チームで勤務した。大阪本社だけで年間2万通を超える投稿に目を通し、選定し、紙面を編集する。休憩すらままならぬ忙しさなのに、妻の様子が気になって仕事が手につかない日もあった。

 2019年5月15日もそうだった。午後、「インターホンに応答がありません」とヘルパーから電話があった。おそらく妻が泥酔してオートロックを開けられないのだろう。合鍵で入ってもらった。

 まもなくショートメールが届いた。〈奥さまが部屋中に嘔吐して、倒れていました〉

 ため息が出る。目の前にある投稿の文面が頭に入らない。仕事を早めに切り上げて帰宅した。