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 根室と釧路の国境には、何万町歩も続く未開の大森林、クマザサの大原野、ヨシやアイヌワラ、ヤチボウズの茂った大湿原、底知れぬ池塘……などが拡がっている。このなかを羆は自由自在に横行する。おまけに一夜に数十キロ数百キロ駈けるというのだから、人間の脚でヒョッコラ、ヒョッコラ追いかけたところで、とうていおよぶべくもない。

 今夜百数十キロも逃げていったと安心していると、その夜半には早くも帰ってきて牛や馬を襲うのだから、まったくたまったものではない。こんな相手を射ちとろうなどという猟人は、一見してあほうの骨頂のようにみえる。しかし、そこはやはり人間と羆との頭の違いである。彼らの裏をかいて、見事射止めるということもしばしばあるわけだ。

 ――私は兵隊検査がすむと、すぐに狩猟免許を受けた。それから30、40年、愛銃を肩にして、北海道内の山岳地帯はもとより、秋田の栗沢方面のバンドリ射ち、四国の剣山、愛媛の上猿田の山々や渓谷のイノシシ狩りなどに駈けまわったものだ。内地では、どんな大森林のなかにわけいっても恐ろしいと思うようなことはなかった。

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 だが、北海道では冬の雪上を除いて、狩猟にはまったく油断ということを許されない。ちょっと人家から離れた小川でのカモ射ちに行くにも、かならず羆射ちの実弾2、3発は手放せない。どんなところで、どんな場合に羆に出あわないともかぎらないからである。山女魚釣りに行ってさえ、羆に出っくわして、生命からがら逃げ帰ったという話は数かぎりがない。

 北海道の山岳や渓谷に、羆さえいなかったら、どんなに快適に狩猟、登山、山女魚釣りなどが、ゆっくり愉しめることだろうか。

 一歩山中へ足を入れると、山を出るまで羆のことが念頭につきまとい、全身を耳にして目をみはっていなければならない。ちょっとでも黒いものが見えると「やッ、羆では……」と神経を尖がらせる。2、3人のパーティの場合はそれほどでもないが、単独行の場合は、ガサッとキネズミが走っても、ハッと銃をとりなおす。

 私は根室の山で40年間に三十数頭の大小の羆を倒している。が、羆狩りにはいつでも決死的な心構えで臨む。まかり間違えば生命のやりとりだと思ってきたのだ。

脇腹をむしりとる猛羆がふたたび現われた

 ――さて、桑野さんの脇腹を、腸まで見えるほどむしりとった羆は、猟人数名で摩周山麓、西別岳の渓谷などをくまなく狩りつくしたが、天に駈けたか、地に潜ったか、その行方は杳としてわからなかった。われわれ猟人は諦めて引揚げ、集落の人たちに期待をかけられた羆狩りは結局徒労に帰した。

 それから1カ月。桑野さんの大怪我も大体全快のみこみがつき、羆のこともようやく忘れかけられていた頃、突如として、桑野さんのところから、約12キロばかり離れた西竹の牧場に、あの猛羆が現われた――。

 早朝5時。乳業会社の集乳トラックが騫進(ばくしん)する轟音におどろき、路傍から突如飛び出して近くの林のなかへ逃げこんだ巨羆を、トラックの運転手が目撃したのだ。

 運転手は恐ろしいのでクラクションを鳴らし、羆が密林のなかに没してからあたりを慎重に見まわした。すると羆の飛び出してきた小谷の向う岸の地点に牛が倒されているのが見つかった。恐る恐るそこへ行ってみると、放牧中の乳牛を喰い殺し、胎児をひき出してあった。内臓を少し食べかけたところへ、急にトラックがきたので、おどろいて逃げたというわけである。運転手はすぐに、この被害状況を集乳場へ集る人たちに知らせた。

 この牧場は、120町歩ばかりの小面積であり、その周囲には開拓者たちが住んでいた。いわば畠のどまんなかの牧場とでもいうところだが、よくもこんな人里まで大胆にも出てきて乳牛を喰い殺したものだ……と、付近の農家の人々を震えあがらせた。