1ページ目から読む
2/3ページ目

「役者志望だった上島と寺門は神戸から上京して、同じ劇団の養成所にいました。その劇団の先輩がコント赤信号の渡辺正行さんで、渡辺さんの紹介で出会ったんです。上島は色白で物静かでおとなしいという印象でしたね。

 もともと彼は役者志望でしたし、ショートコントで西田敏行さんの顔真似とかしていてね。役者に向いていましたよ。感情的で涙もろかったから、映画『砂の器』の子供と父親の再会シーンを観て何度も泣いて、よくそのシーンを再現していました」

ダチョウ倶楽部が4人だった頃(南部提供)

 ダチョウ倶楽部のメンバーと南部さんは10歳ほどの年の差もあり、衝突することも多かった。南部さんがステージ上で上島さんを注意するのは日常茶飯事で、決して言い返さない上島さんだったが、たった一度、反抗してきた時があったという。

ADVERTISEMENT

上島さんが顔を真っ赤にして激怒した出来事

「あの頃、俺は無茶していたんですよ。とんねるずが生放送でテレビカメラを倒して破壊していた時代だから、俺もそれくらいのことをやらないと上にいけないと思っていました。六本木のショーステージで上島に『アドリブがきかないな』などと叱ったり怒鳴ったりしていたら、いつもは黙って聞いている上島がステージ上で初めて『なんだよ、この演技は』って食ってかかってきた。あのおとなしい上島が顔を真っ赤にしてね。過激な笑いを追求したい暴走老人だった俺と、メンバーの3人は求める笑いの方向性が違ったんでしょうね。その直後に、ダチョウ倶楽部をクビになりました」

ダチョウ倶楽部が4人だった頃(南部提供)

 南部さんは心のどこかで再びダチョウ倶楽部のメンバーから「戻って来てくれないか」と言われることを期待していた。しかし、そんな連絡がくることはなかった。

「上島は人との争いを一番嫌う性格だし、同じ仲間をクビにしてしまって『申し訳ない』といういたたまれなさみたいなものをずっと持っていたようです。クビになるってことは、人生を左右する大きいことじゃないですか。だから、俺に顔向けできないという気持ちがあったみたい。

 でも数年後のある日、スナックに入ったら上島と志村さんに偶然、会ったんです。その時に上島が俺のことを『南部さんは自分たちの恩人なんです。この方のおかげで今の自分がいるんですよ』と、褒めてくれてね。あんなやさしい男はいないですよ」

 誰にでもやさしかった上島さんゆえに、南部は「ストレスを抱えたのではないか」とその心中に思いを馳せた。