一番忙しい時期の記憶が曖昧
吉川 長野さんは、「オレたちひょうきん族」の「ひょうきんアナ」として、また永井さんは、日本テレビ開局40周年企画の女性アナウンサー3人組歌手ユニット「DORA」の一員として、一世を風靡しました。お二方の在局中の一番の思い出って、なんでしょうか。
長野 思い出がたくさんありすぎて迷いますね(笑)。
永井 私はなさ過ぎて。
長野 えっ、どうして?
永井 あまりに忙しい日々だったので、「DORA」として活動していた時期の記憶がほとんどないんです。
長野 ピンクレディーみたいな発言!
永井 そういうと烏滸がましいのですが、一番忙しい時期の記憶が曖昧で。ただ、目の前の仕事をこなしていたから、当時のことをあまり覚えていないんです。月の残業が200時間を超えていて、警備室の方から仮眠室の鍵を「これは永井さん専用ですから」と渡されていましたから。
長野 200時間はすごい! 私は184時間かな。フジテレビの仮眠室は男性の方も利用していたから、「寝るときはヒールの靴だけは隠したほうがいい」とアドバイスされていました。
永井 私は鍵のある個室だったので、そこは助かりましたね。
番組内での「公開セクハラ」
長野 さすが、日テレ! 私が真っ先に思い出すのは、「ひょうきん族」に出ることになったときに、たけしさんやさんまさん、島田紳助さん、片岡鶴太郎さんなど、一流の芸人と共演することになって、どうしたらいいの?と戸惑ったことですね。
永井 ニュースを読む技術などは、トレーニングできますが、バラエティの技術は努力する方法が難しいですよね。
長野 そうなんですよ。当時、収録が夜中の2時、3時に終わってから、朝まで飲みに繰り出したりすることも多くて、共演者はものすごく仲が良かったんですね。だからとても楽しかったんだけれども、自分はどうすればいいのか、悩みに悩んでしまって……。休みになると一人で新幹線に乗って、大阪の「うめだ花月」(演芸場)に通っていました。舞台を見ながら、「大阪の人はどうしてここで笑うのか」とメモを取りながら(笑)。
永井 長野さんとは長いお付き合いですが、初めて聞きました。
長野 プロデューサーの横澤彪さんに相談したら、「長野は天才型じゃない。だから壁にぶつかったときに乗り越えようとはせず、壁の前で諦めずにうろうろしていなさい。そうすればいつか壁の中に扉が出てくるから、そのとき、扉を開けて壁の向こうに行けばいい」と。この言葉で肩の力が抜けました。
永井 さすが横澤さん。
長野 まあ、番組内では「公開セクハラ」にあってはいましたけれどね……。
吉川 日曜の夜8時台に、西川のりおさんに、胸をわしづかみにされているシーンが放送されていました。